大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

やわう(準備する)尾高

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僕:昨日は飛騨の俚言動詞「やわう」他ワ五(他動詞ワ行五段)の語源が「いはふ祝」他ハ四(他動詞ハ行四段)であろう、と論述したが、アクセント学の論点からは少し考え込んでしまう。また、僕自身が「やわう」を尾高で話しているのか、平板で話しているのか、どうもはっきりしないのだが、とりあえずは尾高という事にしておこう。
君:アクセントは「やわう」が尾高で「祝う」が中高だから明らかに違うわね。もっとも名詞、つまりは連用形ともなると「やわい」も「いわい」も共に平板になるから、あまり悩まなくてもいいんじゃないの?
僕:それ以前の確認事項として、そもそもが飛騨方言には共通語と同じ「いわう」という中高動詞があり「やわう」という尾高型動もあるという事だ。「やわう」は「浮き浮きとした気持ちで祝い事の準備をする」という意味になるので、アスペクト型の動詞だ。文例としては「やわえたもんで、さあ祝わまい(=準備が整いましたので、さあ宴会と参りましょう)」。この場合も「やわう」は尾高、「祝う」は中高。
君:古語「いはふ」のアクセントが知りたいところだけれど中高だったのでしょうね。現代語の「あじわう」「にぎわう」も中高アクセントだし。
僕:いやあ、それはどうかな。決めつけないほうがいい。だって、そもそも「いはふ」「あぢはふ」「にぎはふ」は共に複合動詞だ。「い斎」は決斎して祈る事、「あぢ味」は味覚、「にぎ賑」は豊穣を示す。そして「はふ」は「前へ進む」という接尾語。どうもこの三つの動詞は祭礼に関係しているね。これを「なりきり柳田國男」ごっこという。若しかして古語「いはふ」「あぢはふ」「にぎはふ」は頭高アクセントだったのかもね。
君:音韻は流石にわからないわよ。
僕:古代から現代に至るまで、この三つの動詞の変化が無かったと仮定してみよう。「いはふ」から「やわう」と言う言葉が出来た時に中高から尾高へと、アクセントも変化したとしたらどうだろう。動詞の意味も変化している。アクセントが変わった事で「いはふ」「やわう」が俄然、区別しやすくなるじゃないか。
君:「いはふ」が消滅して「やわう」が出現したわけではないのよね。
僕:その通り。「いはふ」「やわう」は同音衝突しないし、アクセントも異なるし、意味も異なっていて、全く別々の動詞になってしまった。これについてはひとつ、思い当たる事がある。つまりは「やわう」は飛騨における階級方言だったのだろうね。社会の上層、つまりは武家階級などでは使われず、もっぱら下層階級、即ち農民階級で使われた言葉という事かもしれないね。「やわい」の用法でひとつ、大切な点があって、決して「お・ご御」という接頭語が付かないんだ。他方、「おいわい」は飛騨方言でも使う。
君:なるほど。飛騨ではそもそもが祝う時は「いわう」と言う言葉そのものを使うわけなので、準備そのものがそれほどはお目出たい事という訳では無いという意識の表れね。

目出度さもちう位也おらが春
ともかくもあなた任せのとしの暮
一茶57歳の元日

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