大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
やわう(準備する) |
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私:今日は瞬殺技だった。 君:何よ、その言い方。 私:いつも熱の患者様を診させていただいている。命がけだ。でもやれやれ、仕事納めにて今朝から一応はお休み。コロナ禍にてどこに出かける予定も無いが、久しぶりの休暇という事で誰にも会わずに済む楽しみ、つまりはオートバイにまたがって朝から日暮れまで東濃の山中を走って来た。一日遊んでしまったツケ、書斎にこもって方言資料でも読んでおけばよかったものを、つまりは方言の記事を書こうにも本日こそ材料が無い、でも何かを書きたい、夕食後は半ば憂鬱な気持ちで各種資料を見始めた。ところで東濃の山中だが、道路こそ雪は無いが山肌に白いものがある。昨日の残雪だ。飛騨は雪深い地方だが、故郷では冬支度も万端整えているのかな、などと考えて走っていたのだが、飛騨方言では冬支度の事を「冬やわい」という。飛騨方言動詞「やわう」他ワ五(他動詞ワ行五段)の連用形である事は書かずもがな。この「やわう」という動詞の語源について実は15年以上も思いめぐらせてきたんだ。既に別稿「やわい(準備)」に古語動詞「やはす」他サ四が語源であろうか、と上梓したばかりだった。 君:だから、なんなのよ、瞬殺技って。 私:何年も考え続けてきた事でも一瞬のひらめきで解答を思いつく事だってある。今日は机に向かうなり、突然にひらめいてしまった。幾つかの資料を斜め読みして、うん・間違いない、という気持ちになり、そしてジインとこみあげてくる感激。方言の神様とハグする瞬間。 君:つまりは語源は「やはす」以外だったのね。 私:答えを先に。「いはふ祝」他ハ四(他動詞ハ行四段)が語源だと思う。先ほどひらめいた。 君:根拠を示してね。 私:飛騨方言動詞「やわう」だが、ほとんど俚言といってもいい。飛騨全域で用いられるが、他の地域といえば長野県西筑摩郡と岐阜県郡上の方言資料にしかあらわれない動詞だ。つまり全国広しと言えども飛騨でしか話されない動詞。郡上と長野の言葉は spill over の現象に間違いないと思う。「やはす」はサ行動詞なので活用語尾が「やわう」と異なる所が、なんともはや、気になってしかたなかった。ところが「やわう」他ワ五と「いはふ祝」他ハ四は活用語尾がピタリと一致する。そして意味すらピタリと一致するんだ。問題は動詞の語幹だが、「や」と「い」だね。つまりは上代では「いはふ」だったのだろうがハ行転呼で「いわう」になるべきところを「いゃわう」の音韻、やがてあっという間に「やわう」の音韻へと、つまりはア行からヤ行への音韻変化が生じたのでは、と考えるとこれもピタリと説明がつく。以上の三点、つまりは、★活用語尾が同じ・★意味が同じ・★音韻変化はハ行転呼で説明可能、という事から飛騨俚言動詞「やわう」の語源は「いはふ祝」他ハ四に間違いなさそう、というのが本日の結論。「やわす」は民間語源という事で、落語ネタの参考までにという事でお願いします。僕は過去の間違いは敢えて削除しない。その時々に考えていた事を全て書き記したい。「げばす」の語源は「かけはずす」だが、日葡辞書にこれを発見するのに、やはり十五年かかっている。 君:ただし、見つける時は瞬殺なのよね。 私:その通りです。なんだか嬉しくて仕方ない。昨日までの、長年の疑問がようやく解けた。 君:・・女の第六感。あなた、なんだか怪しいわ。語源を思いついた経緯で大切な事を隠している。活用語尾とか言ったわね。どうせ大修館日本語逆引き辞典を開いたら、すぐに答えが目に飛び込んで来たのでしょうよ。 私:うーん、凄い洞察。その通り。「やわう」の語源って若しかして「〜わう」で終わる動詞なんじゃないかと思って同辞典を開いたら「あじわう」「いわう」「にぎわう」の三個の動詞があったんだよ。この辞典はこのような使い方がある、という事で改めて同辞典の底力を見せつけられた。 君:「ふゆやわい」は冬支度という意味だけど「冬祝い」でも十分に意味が通じるわね。ほほほ 私:せっかくだから、これっぽっちの事で満足する僕じゃないぞ。 君:えっ、どういう事かしら。 私:飛騨方言におけるヤ行の品詞で対応する共通語がア行のものがないか調べた。つまり飛騨方言におけるア行・ヤ行の音韻対応だ。 君:ほほほ、「いわう・やわう」以外に見つけたのね。 私:ああ、みつけた。土田吉左衛門「飛騨のことば」が役立つ。土田先生は死語も含め、ありとあらゆる飛騨方言品詞語数一万の辞書をお作りになった。土田の前に辞書なし、そして土田の後にも辞書はない。例えば、「いくさ戦・ゆくさ」「いろり囲炉裏・ゆるり」「えぼし烏帽子・よぼし」「つえ杖・つよ」。ヤ行からア行への音韻変化も多い。「つゆ露・つい」「かゆ粥・かい」「あゆ鮎・あい」「ゆげ湯気・いげ」等々、きりが無いのでこの辺で。がはは 君:なるほどね。気付くという事は尊い事だわ。些細な発見じゃないわよ、十年来の疑問が解けたのだから。でも「やわう」が俚言で良かったわね。つまりは成書にも、どんな専門書にも書かれていない。方言学の研究者が誰も知らない事がひとつ見つかったという事なのね。 私:おそらくこの感激は死ぬまで続くのでしょう。飛騨で生まれ飛騨で育った僕にしかわからない不思議な世界。バイリンガル万歳!! 君:その価値は誰にもわからない。その価値を知るのはあなただけ。チョッピリうらやましいわ。 |
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