大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨の地名考・御母衣

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御母衣ダムで有名な地名ですが、地元では、みぼろ、と呼ばれているようです。 そう読ませるために、ほとりの公園は、みぼろ湖公園、と命名されています。 またダムを見上げる下流にあるのがMIBOROダムサイドパーク。 筆者自身は後ろめたくつい、みほろ、と言ってしまいますが、 以下に理由を述べます。

この一風変わった地名ですが、語源はやはり、ほろ・母衣、から 来ているのでしょうね。 母衣については各自でお調べになってください。 一言でいうと、馬上の武士が背中につける旗です。 当然の結果として母衣の名前の地名が全国各地にあります。 ただしこれらの読みはすべて、ほろ。 ボロではねえ、はっきり言いますと忌み言葉。 そして何故、白川郷に、みぼろ、の地名があるのでしょう。 やはり平家落人伝説を避ける訳には参りません。 飛騨高山の平家は木曽義仲の電光作戦に玉砕しますが、 倶梨伽羅(くりから)峠で敗れた一部平家が白川郷に逃げ込んだ という筋書きを筆者は素直に信じます。

さて、いやあ楽しい、松江市立母衣小学校がありますね。 そういえば筆者の村の大西小学校も木造のボロ小学校でしたね。 懐かしさがこみ上げてきます。 そしてまたまた楽しいお話、実は私の故郷の町内にあるお隣りの(高山市立)久々野小学校 ですが、かつては御母衣学校と呼ばれていたのでした。 みボロ学校。いや、やはり、みほろ学校、と呼ばれていたのでしょうか。 真相は不明です。ただし、御母衣・みぼろの地蔵祭り、がありますので、みボロ学校と呼ばれた可能性が極めて高いという事 なのでしょう。

もう一つ謎がありますが、本当に、みほろ−>みぼろ、と 変化したのであろうかという疑問です。 後者の方が明らかに言いにくいからです。 この点だけは筆者は合点がいきません。 なぞなぞですが、母には二回会うが父には一回も会わないものなあに、 答えは唇、母は古代はパパと呼ばれていたからですね。 パパが言いにくいのでファファを経てハハになったというわけです。 婆・ババとて同じ。
おまけ
ご紹介するまでもないとは言え、ポロっと一言、実は 御母衣の語源にアイヌ語説があります。 ポロ、という響き及び大きな川という意味からの想像です(例えば札幌)。 この説は全国にまたがる母衣の皆様に、 とくに母衣小学校の生徒さんはどう思われましょうか。

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