大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 地名考 |
さこれ(坂下) |
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私:今日はツーリング日和にて野麦峠まで愛車 BMW R1250GS で行ってきました。 君:あら、どちらのルート。 私:41号の裏道だ。可児市の自宅から上之保経由で金山に抜け、間瀬経由で上呂へ、続いては小坂から濁河経由で日和田高原、高根へ下り野麦峠へ。残雪の北アルプスを存分に楽しんできた。 君:ほほほ、表題だけれど、小坂町の坂下村の事よね。 私:そう。飛騨川に国道41号線の立派な鉄橋があるが道路標識を見てびっくり、学生時代から通いなれた41号線なのにどうしてこの地名に気づかなかったのだろう。 君:全国に分布しているのでしょうけれど坂下という名の地名ならば、通常の読みは「さかした」だわよね。 私:初めに音韻ありき、という事だろう。つまりは上古からあった村で「さこれ」と呼ばれていたのではないだろうか。 君:つまりは坂下は後世の当て字だとおっしゃりたいのよね。資料をお示しにならないと全国の皆様は納得なさらないわよ。 私:ははは、お安い御用だ。手元の岐阜県地名大辞典二冊(平凡社、角川)の記載は同じだった。最も古い資料が元禄八年の検地帳(小坂町教育委員会)、つまりは江戸時代からの地名という事ははっきりしているが、中世以前の事はわからない。 君:でも、地名オタクのあなたはピンと来るのよね。 私:ああ、勿論。「さか坂」+「うれ末」の合成語に違いない。つまり「さかうれ」の母音交替+短呼化と考えるのが単純発想だが、古代の音韻に思いをはせると、「さか」は合拗音だったかね、たしか。「サクァウレ」から「サコーレ」、長音が短音化して「サコレ」になったのだと思う。 君:「うれ末」について説明してね。 私:うん。万葉集にもある古語の重要単語で、意味は「尖端、枝の先や葉末」。「うら」の交替形もある。但し「うら裏」は同音異義語。飛騨地方には、この「うれ」を用いた地名が多く、飛騨に限っては地名用語としては最重要単語といってもいい。 君:なんといっても「かおれだけ川上岳」よね。 私:うん、上呂や尾崎、山之口の人達にとってはオラが山というところだろう。「かわうれ」が「かおれ」。他には「ながそれ」等の地名もよく知られる。 君:他の地名では「うれ」に「上」の字を当てているのに「さこれ」だけは逆に「下」の字を当ててしまったのね。 私:飛州志には「うれ上」と「あらと新門」の記載があるが、村の奥が「うれ」で入り口が「あらと」。 君:例え当て字でも、「うれ」に「上」を付けたり「下」を付けたり、いくら何でもやりすぎよね。 私:ははは、確かにやりすぎだ。でも、この地名当て字やりすぎ現象には必ず原因がある、というか僕なりの屁理屈がある。 君:簡単にお願いね。 私:うん。文献的には万葉集の「うれ末」だが、中央の言葉、和語であった事は間違いない。これが飛騨の各地に残っているという事は、やはり飛騨工が都から「うれ」という音韻を飛騨の各地に運んだのだろう。但し飛騨工は知識人・教養人の人達では無い。文字文化とは程遠い人達。しかしながら元禄検地では村の名前を漢字で表記する必要に迫られた。そこで適当な当て字として「下」が選ばれた。「坂」だってそうだろう。たまたま適当な当て字で選んだのだろう。つまりは「さこれ」の語源論という事になるが、案外、「さこ迫」+「うれ」で「さこうれ」、そしてこれの連母音融合・短呼化で「さこれ」になったのかもしれないよ。 君:それもそうね。ところで、ふふふ、わたしひとつ気付いた事があるわよ。 私:えっ、なんだい。 君:だって「さこれ」の村は小坂町のすぐ川下じゃない。だから「さこれ坂下」の漢字の表記は「小坂」から一文字と「川下」から一文字とったからじゃないかしら。 私:なるほど、言いえて妙。どちらにしても元禄検地でお役人が適当に当て字で突然に村の漢字表記を作ったという事なんだろな。 君:ほほほ、古語がわかっていれば「さこれ坂末」とすべきだったのよ。 私:うん、そしてその意味は「小坂という村の端っこの小さな村」という事だよね。 君:ほほほ、となれば「さこ迫」説は無しね。飛騨川のほとりの村だもの。「さこ迫」は関係ないわよ。 私:なるほど、一本取られた。ひとつだけ、はっきりしていることがある。村の名前「さこれ」を付けたのはだあれ、それは誰が付けたのでもない、古代の村の人々がそのように名付けた。 君:ほほほ、その通りよね。そして以下の点も重要よ。「かおれ川上」は上呂の北に聳え立つ山。「さこれ坂下」は飛騨川のほとりの小さな村。しかも「かおれ」と「さこれ」は目と鼻の先。共に万葉の地名。ほほほ |
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