飛騨方言の言い回しで、らちがあかないから派生した言葉で、
らちがあかない、だめだ、いけない、あさましい、などさまざまな意味で使用します。
らちについては、らちもないから派生した飛騨方言の言い回し、
だっしゃもない、に記載していますが、
らちの意味ですが、拉致被害という言葉にあります、無理やりどこかへ連れて行かれる事
という意味ではありません。埒の漢字にありますごとく、
(1)馬場の周囲の柵、(2)(ラッシ(臈次)の転か)物事のくぎり、の意味です(広辞苑)。
つまり、らちがあかないという日本語の意味は馬場の柵があかない、従って馬が外へ出ようにも出られない、
物事が解決しない、物事がはかどらないという意味になります。
古語から現代語・飛騨方言に至るまで、らちあかぬ>だちゃあかぬ>だちゃあかん>だちゃかん>だちかん>だしかん
というように言葉が次第に変化してきた事にいくつかの疑問、不思議な気持ちが残ります。
ひとつの不思議は、飛騨地方では旧高山市街を中心として、だしかん、と話される事が多いのですが、
現に、だちかん、という言葉も使用されており、新旧の言葉が入り乱れているといってもいい、この点です。
また次に不思議な事としては、現在、私の知る数少ない情報では、美濃地方・可児市地域では、だちゃかん、が現在、使用されています。
また少し飛騨川上流の東白川村あたりでは、だちかん、が使用されています。
これは方言集圏論の理屈から考えると実に奇妙な事です。
都、らちあかぬ>可児市、だちゃかん>東白川村、だちかん>飛騨、だしかん、の如く、都から遠いほど新しい言葉が話されているとは
正に方言集圏論の逆の現象です。
また、富山の方には大変に失礼な記事かも知れませんがあえてお書きしますと、
奇妙なことに、富山方言について発信しているサイトの方が、私たち富山人がしゃべる
だしかんという言葉を飛騨でも話している、飛んでる男のだしかんソングという流行歌すらあるらしい
という記事があります。つまりは都から更に遠い富山も高山同様、"だしかん"方言地域というわけです。
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