広辞苑には、(1)病弱になる・(2)食べ物が腐る・(3)困却閉口する、の三者の意味が
記載されています。
ところが飛騨方言にはこの動詞について特殊な言い回しがあるようなので
この際は記載しておきましょう。
飛騨方言には、相手が困却閉口しないのでこちらが困却閉口してしまう、
という意味の用法があります。例えば、
お二人さんがゆずらんもんで、保守分裂選挙やさ。
よわった選挙やあ。
つまりは、お二人はお互いに譲り合わず候補者一本化不成立です。
それを見ているこちらが困却閉口してしまうのが、よわった選挙、
という意味です。つまりは私にとってよわった選挙であり、ご当人様
方はよわっていません。
(ところで、ここだけの話やけどえな、佐七んどこもよわった家族でなあ、
嫁さんも娘も佐七の言う事を聞かんのやさ。
わしの嫁さんも娘どもも、おりぃみたいにもうちょっと弱らにゃだしかんぞ。)
ここまでは飛騨方言辞書としては平凡辞書でしょう。
筆者が着目するのは飛騨方言名詞・しこです。
そもそもが、しこ自身に、困却閉口してしまう事、という名詞概念がありますので、
例えば飛騨方言では
あいつもよわったしこや。
と言えば、あの方もお困りの状況らしい、お察しいたします、という意味になるのです。
一歩戻って、あいつもよわった男や、といえば、
あいつは(いつも私に迷惑をかける、私にとっての)困り者だ、
という意味になるのです。
つまりは飛騨方言では用言・弱る、の修飾語・体言の種類によって意味が
逆転するようですね。
一番の大問題はと言えば、実は体言・しこ、の意味が
近世において既に、醜い状態というつまりは悪い意味から、
ただ単に状態という普通の意味に変化してきているという事ですね。
端的な例をお示ししましょう。
2006年に下呂で植樹祭があり平成天皇が植樹なさいました。
これにちなんだネット記事で、ある老婆が、
天皇様がござるしこで、というフレーズの記事がありました。
おいおい待ってくれ。勿論、老婆は行幸の意味で、ござるしこ、
という体言を用いています。つまりは、いらっしゃるご様子、
という意味で使っておられるのですね。
結論ですが、以上から飛騨方言では既に、しこ、に悪い意味は
全くありません。明治時代、あるいは、それ以前からの
現象かもしれません。
全国の皆様へ、あいつのよわったしこ、という飛騨方言の言い回しには
実は憐憫の情が含まれています。つまりは、彼の困り果てた様子を私は
見るに忍びない、彼が困っている状況を他ならぬ私も困っている、というのが正確な共通語訳といえましょう。
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