大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

ま(馬)・飛騨方言

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飛騨では共通語・うま、を一語で、ま、ともいうのですが、 既に廃れている言葉でしょうね。筆者の生まれ育った町ですが、 町史を紐解きますと戦前は大変な馬の産地で、飛騨各地の馬が 集まり馬市も開かれていたそうな。 さて共通語うまから一語脱落して、飛騨方言・ま、に なったのでは、とどなたもお思いでしょう。 事実は逆です。

吉田金彦編著語源辞典の丸写しですが、 魏志倭人伝には日本に馬はいないと記述され、 日本書紀応神天皇十五年に百済から馬が献上された 事が記述されているのです。倭の五王の時代に 朝鮮半島からさかんに輸入された動物です。 つまりは漢字呉音 ma であったというわけです。 和語化しウマと表記するのが、いつのまにやら定着し、 ウが鼻音であるために万葉時代にはウマであったものが 平安時代にはムマ、またやがてウマと呼ばれるように なったそうな。

ですから飛騨方言・ま、は太古に輸入された時代の 音が現代にまで続いた、という事なのですね。 平安時代に飛騨工が都と飛騨を行き来しましたが 都の言葉ムマが伝わらなかったという事は、当時 既に飛騨には馬がいて、それは、マ、と呼ばれていた から、という事も考えられるのでは ないでしょうか。 (もっとも当辞書には、うんま・んま、もご紹介していますが、 都合の悪い点は無視するお調子男の姿勢を笑って許してね。)

別稿・ませんぼの話も ご参考までに。馬栓棒、の漢字をあてることばでは ないかと思いますが、なまってマセンボです。 マセンボウ、ともいいますが、ウマ〜、とは 決して言いません。
おまけ
上記語源辞典の説明は尚も続きます。 日本は言うに及ばずユーラシア各国の相当数の 言語で馬を意味する単語が ma で始まるのです。 匈奴・突厥などの騎馬民族が大陸をアジアから ヨーロッパまで席巻した事が理由です。馬と共に それを意味する言葉も運んだという訳です。 つまり英語 mare と飛騨方言・ま、は同根です。

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