だっしゃもない、とは飛騨方言で、ちらかっている、という意味です。
別稿に仏教からの言葉・らふしもなし
による事をお書きしました。近世には中央で、らふし>らっし、の語変化が生じています。
お恥ずかしい話なのですが、古語辞典のうろ覚えで先程、間違い原稿をアップした
ものを数名の方に読まれてしまったようです。
間違いとは、だっしゃもない、の語源を、らちもなし、と記載した事です。
正しい語源は、らっしもない、です。
ところで手元の旺文社古語辞典には、らち・埒、らちもない、らっちもない、の記載が
ありますが、らっしもない、とは全く関係の無い言葉です。従って語源ではありません。
らちもなし、がその後に近世語として、らっちもない、に変化したようですが、
意味は、不条理だ・筋道がたたない・
めちゃくちゃだ、という事で、少しも変わっていません。
つまりは、だっしゃもない、という飛騨方言とは明らかに
意味が異なりますね。
さて佐七節ですが、らちもない、という言葉で最も有名な歴史上の人物は織田信長でしょう。
最後の言葉です。突然の本能寺の変、多勢に無勢、もはや信長は死を覚悟します。
敵に首を切られる事は武士の恥、自害を覚悟するとみるや周りの小姓はさっと準備をして一言、
殿、御自害を!
そして信長は、ふむ、とうなずき腹に刀をやり、周りに伝えた言葉が、
らちもなし!
という事だったのです。ちらかっているよ、という意味(= らっしもない )ではありません。
( 念のためですが、この会話は佐七の空想です。NHKの大河ドラマか何かの記憶の断片です、はい。 )
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