大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨方言げばす、の語源に関する新情報

戻る

振り返れば、げばす、という動詞について既に 五編を書いていました。それでもまだまだ新知見があるのです。 今日はそんなお話です。

さて、げばす、の語源は、古語動詞けはずす・蹴外す・ミスシュートする、 にある。これは間違いありません。 国文法的にも音韻学的にもピタリとあっているのです。 ところが一方、飛騨地方の民間語源・下馬する、これはあくまでも 落語の話です。さらには病膏肓の筆者は、げばすの語源は 金森長近であろう、と実は昨日まで考えていました。

本日は何故、私がゲバスの語源は金森長近と考えたのか、 その理由をこっそりとお披露目しましょう。 書は、八幡和郎著・江戸300藩県別うんちく話。 ここに飛騨地方の事も、金森長近の事も、長近と蹴鞠の事も、 実は書かれています。 同書は文庫本とは言え、内容は相当に詳しく本格的で、 また著者の経歴などを拝読しますに、 素直に書かれた内容を信じたくなる 凡夫の佐七なのでした。以下は著者へのメッセージです。

八幡和郎様へ、実は一年ほど前ですが、たまたま 近所の本屋さんであなたの同書が目に留まり、金森長近の 項目を立ち読みした時に私の心に電撃が走ったのです。 蹴鞠の名手・金森長近。買った貴書をその晩むさぼる様に 拝読いたし、ただちにゲバスの語源は金森長近 を上梓しました。

ところで、筆者の手元に、飛騨金森史、という古本があります。 たまたま入手したのですが同書は地元の名士連がこつこつと 資料を集めて高山市の市制記念行事として出版されました 貴重な書です。実はこの書には蹴鞠については実はひとことも 記載されていません。八幡和郎様へ、あなたは 地元の郷土史家が知らない事をどうやってお知りになったのですか。

さて話変わって、当サイトもウエブサイトという手法で 情報を発信し続けている以上、いわばネット世界という 仮想空間の飛騨方言世界です。そして、
金森長近+けまり、 でネット検索をする限り、畢竟、信長の野望、という コンピュータゲームの情報及びそれのコピー情報が 大半である。
と言う事に筆者はつい先ほど気が付いてしまいました。 また蛇の道はへび、ネット検索の鬼・佐七は知ったぞ、 安土城で織田信長が蹴鞠の会を催したそのメンバー表も インターネットには公開されているのですね。 しかし、その表に金森長近の名前はありません。

結論を急ぎますが、筆者がここまで知ってしまった以上、 金森長近=蹴鞠の名手、というシナリオは所詮 パソコンゲームの話とも思えてしまうのです。 つまり史実ではないのかもと。 八幡和郎氏へ、有名になられたあなた様の一言・一文は 大きいのですから、筆者は出典が欲しいのですが、 頁数の限られた文庫本ではなんともならなかった という事なのでしょうか。

さて金森長近といえば、信長とともに真宗門徒を 徹底的に弾圧し、実は門徒数万人を殺した殺人鬼、 晩年にはその罪を悔いて出家し、実は茶器に凝り、 にわか茶人となった、佐七にとってはたったそれだけの男。 上記の郷土史資料からはそれ以上の人間・金森長近の顔は 見えてきません。 ただし三代金森重頼は寛永の大飢饉の際には、 伝来の茶器であった「雲山肩衝」を売り藩士・農民の 救済にあてた逸話があるようですよ。やりますね!

以上が前置きなんやさ。本文は佐七節ですが、 長近は、とにもかくにも生涯を戦いに明け暮れ、 抜群の体力・運動能力があった事は間違いない。 しかも信長の右腕です。ところが信長が死ぬや秀吉に仕え、最後は 家康に仕え、つまりは彼は要領が抜群にいいのです。 これははっきり言って、私もみならいたい。 つまり戦国時代の武将のなかでも特Aランク。 つまりは、彼は並外れた運動能力があって蹴鞠も 上手だったのでしょう。 がしかし安土城での蹴鞠の会のメンバーには出てきません。 なぜって。早い話が接待ゴルフのようなもの、 能ある鷹は爪をかくす。 心の中では "なんやあ、このへたくそ、おおげばし野郎。" と思っても、"いやあ、おみごと。"、とお上手を言ってこそ 金森長近も出世できたのよ。ふふふ。

末筆ながら筆者が如く偏った情報、つまりは無けなしの 知識からは間違った結論が出やすいと言う事で、 金森長近は果たして蹴鞠の名手であったか、 迷走佐七の文献探しは始まったばかりです。

ページ先頭に戻る