別稿・飛騨俚諺副詞・いご、の語源に
語源は、いくらも、である事を論述しました。
い、の語で始まる副詞を思い浮かべて、いくらも=いご、と考えるに至った事をお書きしました。
ところでもう一つ重要な点があります。この俚諺副詞・いご、は必ず否定の文章に先行する、
つまりは必ず、いご〜しない、という係り結びになっているという事です。
つまり、いご食べれん(=そんなには食べられない)、とは言いますが、
いご食べれる、とは言いません。若し言えば、以後はたべられる、つまりその後は
食べられるという意味になり、別の副詞になってしまいます。
ところで、い、の音で始まる副詞で必ず否定の文章に続くものといえば、
いっこうに食べられない、等があります。
はたして、いっこうに、は、俚諺副詞・いご、の語源たり得るでしょうか。
答えは否、いっこうに、は語源では有り得ません。
いっこうに、には、全く、全然、以外の意味はありません。
いくらも、の意味は、それほどは、という本来の意味が敷衍されて、
全然と同じ意味で使用する事があります。
財布にはいくらも残っていないといえば、つまりは小銭しか残っていないというのであれば、
いっこうに残っていないと同じ意味ともいえましょう。
ところが逆は真ならず、いっこうに残っていない、という以上は、
それほどは残っていない、という意味ではありません。
ところが、副詞・いご、は、それほどは、という意味であり、全然という意味ではありません。
ですから、いくらも・いご、よりむしろ、いっこうに・いご、
の方が明らかに音は近似しているものの、意味が根本的に
違う以上、いっこうに、は、副詞・いご、の語源では有り得ません。
以上の議論から得られる事ですが、、
まとめ
言葉が変化して語源とは似ても似つかぬことばになる事がある。
がしかし、語源という以上、言葉の意味は完全に同一である。
つまりは、音の響きが似ていても意味が異なっていれば、語源の可能性は無い。
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