大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨俚諺副詞・いご、の語源発見物語(2)

戻る

別稿・飛騨俚諺副詞・いご、の語源に 語源は、いくらも、である事を論述しました。 い、の語で始まる副詞を思い浮かべて、いくらも=いご、と考えるに至った事をお書きしました。 ところでもう一つ重要な点があります。この俚諺副詞・いご、は必ず否定の文章に先行する、 つまりは必ず、いご〜しない、という係り結びになっているという事です。 つまり、いご食べれん(=そんなには食べられない)、とは言いますが、 いご食べれる、とは言いません。若し言えば、以後はたべられる、つまりその後は 食べられるという意味になり、別の副詞になってしまいます。

ところで、い、の音で始まる副詞で必ず否定の文章に続くものといえば、 いっこうに食べられない、等があります。 はたして、いっこうに、は、俚諺副詞・いご、の語源たり得るでしょうか。

答えは否、いっこうに、は語源では有り得ません。 いっこうに、には、全く、全然、以外の意味はありません。 いくらも、の意味は、それほどは、という本来の意味が敷衍されて、 全然と同じ意味で使用する事があります。 財布にはいくらも残っていないといえば、つまりは小銭しか残っていないというのであれば、 いっこうに残っていないと同じ意味ともいえましょう。 ところが逆は真ならず、いっこうに残っていない、という以上は、 それほどは残っていない、という意味ではありません。 ところが、副詞・いご、は、それほどは、という意味であり、全然という意味ではありません。

ですから、いくらも・いご、よりむしろ、いっこうに・いご、 の方が明らかに音は近似しているものの、意味が根本的に 違う以上、いっこうに、は、副詞・いご、の語源では有り得ません。 以上の議論から得られる事ですが、、
まとめ
 言葉が変化して語源とは似ても似つかぬことばになる事がある。 がしかし、語源という以上、言葉の意味は完全に同一である。 つまりは、音の響きが似ていても意味が異なっていれば、語源の可能性は無い。

ページ先頭に戻る