大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨方言・のま、の語源に関する一考察

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昨晩に読んだ河合村誌 通史編全、編集発行 河合村役場、に、のま、の記載があり筆者は感激しています。 語源を示唆する有力情報が記載されていたからです。 ところで、のまとは飛騨方言で、雪崩、の事です。

昭和生まれの筆者がこの言葉に興味をもったのは岐阜県図書館様の ウエブサイトです。なだれの事を何というかという方言地図が 飛騨全域は、のま、と図示されていましたので、父に 尋ねたところ、確かに子供のころに、のま、といったとの事、 これは面白いと、佐七の飛騨方言研究が始まるのですね。 私事で恐縮ですが大正生まれの筆者の父は生まれも育ちも大西村、 つまりは戦前は飛騨全域で通じていた言葉だったのでしょう。 ところが筆者の母、生まれも育ちも久々野町で昭和時代、は実はこの言葉を 知りません。つまりは既に戦前に死滅した飛騨方言なのです。

実は富山方言でも、なだれの事を、のま、お暇な方は ネット検索をなさいませ。音声付で出て参ります。 そしてくだんの富山方言サイトの解釈が、なだれ=のま、の 語源は沼であると。でも私自身はそれはおかしいとずうっと 思い続けていました。アクセントが違うからです。 飛騨方言の、のま、のアクセントは実は▼○、そして飛騨方言は 純東京式アクセントですから沼は○●です。 つまり両者は明らかに別の言葉なのです。 (ですよねえ、金田一春彦先生)

以上が前置きでした。河合村誌には、方言の章があり、 なだれについては、そのおき易い場所の事を、のまつき、と言い、 そして雪崩の被害にあう事を、のまにつかれる、と記載されています。 となりますともはや明らかです。 のま、とは、やはり、野に住むあくま▼○○の事、 でしょう。突く・憑く、のいずれかと言う事は 本質的な事ではありません。どちらでも良いのです。 要は、若し沼であれば、突く事も、憑く事も、衝く事も無い、 という訳です。

実は広い飛騨で河合村は富山県境です。ところが、のま、に関しては、 河合と富山では、 同音同意なれど異アクセント異用法が故に異語源であっても おかしくないという事でうーむ、佐七は感激、しゃみしゃっきり。 ここまで拘って一年以上経ている訳ですから、 私も、のまに憑かれていたわけですね、ふふふ。

なだれ、というのは山で起きる現象だから、野魔・のま、 というのはつじつまがあわぬ、と考える人もお見えでしょう。 実は、野というのは家の外、と言う事、野に出でて、といえば 家から飛び出してという意味だと考えると、 実は野原でもよいし山でもよいのですね。

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