大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨方言・せで、の謎にせまる佐七さんちの親子会議

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飛騨方言に、せらい、という言葉がありますが、急いで、などという意味になります。 ばばさまえ、せらい食べたや、かしわ餅 せらい などという俳句をひねりましたが、精出いて、が語源のようです。 先だって正月に帰省したおり、両親にせらいの語源を問いますと、やはり知らなかったようです。

次いで私が得意げに飛騨地方には、せで、という所もあるらしいよ、と講釈しましたら、 お袋が、その通り、この村でも@@木のおばさんだけはお一人、せで、を使い、せらい、を使わない、 せで、という言葉を聞く大西村の女衆は誰もが奇異に感じているはずだと言い出します。 ところが親父は、 ほう@@木さんが、(たった今教わった)せで(などという言葉)、を使わっさるか、そりゃ知らなんだ、と相槌します。

私もかつてその昔、おばさんと会話をした事はありました。 がしかし彼女から、せで、という単語を聞いた覚えはうーん、ありません。 さて狭い村です。婚姻圏といえば飛騨の中でほぼ決まりです。 それどころか彼女は実は数キロメートル先の高山市久々野町反保という所から 村に嫁がれた方です。がしかし情報はここまで。

彼女が若し久々野町反保に生まれ育っているのなら、せで、はまさか使わないでしょう。 久々野町含め益田川上流域では、やはり、せらい、が主に使用されていると思います。 つまりは彼女は飛騨地方でも、せで、を話す地域で生まれ育ち、 そして久々野町反保に移り住み、縁あって大西村に嫁ぎ、お一人のみ、せで、 を話す大西の村人となられたという事のようです。

話が回りくどくなりました。 結論としては、ですから大西村は実は、せらい、と、せで、が混在する地域なのです。 ただし、せで、をお使いになるのはご婦人お一人のみ。 その事実を、村に生まれ育ち今日に至る齢八十の私の父も知らなかった。 勿論、私も知りませんでした。

でも、@@木のおばさんはいったいどこで お生まれお育ちなのでしょうか。私は大変興味があります。せで、の分布を知りたいのです。 この事はお袋に頼んであります。いずれお袋が彼女からそうっとご出身を聞き出してくれるでしょう。 だから@@木のおばさん、長生きしてくださいね。

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