言う、は飛騨方言では、そう、なのですが、
語源は、そういう、かと
お書きしました。
ただし、古語辞典には、そういう、はありません。
代わりにある言葉といえば
現代語 古語
そう さ、しか・然
そういう さる・然
そうだと さりとても
いっても
そうは言う さこそいへ
ものの
そうも さすが
いかない
語源としては、やや難あり、という事でしょうかねえ。
さりとて、現代語・言う、は古語では
なんというのでしょう。
いはく
いひかかる
いひかなふ
いひけらく
いひととのふ
いひたつ
いひなす
いひそむ
いひののしる
いひまぎらはす
いひやる
うちいだす
うちいふ
うちささめく
かたる
くどきたつ
こちづ
こつ
ことづ
こととふ
ことにいづ
ことにいふ
つづしる
さざめく
ざざめく
ささやく
さへく
さへづる
つぷめく
のる
はぶしへだす
ひひらく
ひとりごつ
あれこれ書いても語源には程遠い情報ばかりでしょう。
ところが古語辞典には、さう・左右、名詞、あれこれ言う事、
がありますが、なにぶんにも名詞ゆえ、
やはり飛騨方言動詞・そう、とは何ら関係ないのでしょうね。
こうなってきますと、まさか、いふ>そう、こそが
語源かと破れかぶれになる必要はありません。
やはり、さいふ・然言ふ>そう、が語源でしょう。