大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

からかす・らかす・かす

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私:昨晩は更新できなかったが、さあ今夜は書くぞ、という気持ちだ。
君:毎日更新したいのね。
私:ああ、したい。どんな小さな事でも書いておきたい。
君:昨晩は気乗りがせず。どうして?
私:角膜潰瘍だ。持病の円錐角膜、つまり角膜製複雑乱視の合併症。時々、突然に発症する。思い切って早く寝た。一晩で回復できたのは有難い。
君:驚異の回復力ね。
私:ごく小さな潰瘍だったからだろう。本日は二時間、散歩が出来て、そこで閃いた事が二つあった。嬉しくて仕方ない。
君:そのひとつが表題の文末詞というわけね。からかすの第二弾というわけかしら。
私:そう言えなくもないが、実は文末詞「らかす」の発見だ。大発見と言ってもいいかな。飛騨方言を十年以上も独学でやってきたが、今まで気づかなかなかったなんて。
君:ほほほ、大したお話ではなさそうね。
私:まあ、何とでも言いたまえ。言論の自由だ。まずは文末詞「かす」だが、これは全国共通の文末詞。
君:というか、接尾語ね。サ行四段型。
私:そうだね。文末詞というのは用言語尾の総称だから、接尾語も文末詞だ。古語辞典にある。使役の意を強調。また上接すめ動詞を強めても用いられる。動詞の活用語尾のア段に接続。徒然に文例がある。中世語だね。現代語例としては「男は女を泣かすんじゃない」とか。
君:「からかす」の語源は「かる駈」の未然形「から」+「かす」だと仰りたいのよね。
私:だろうね。角川古語大辞典にも記載が無いのが残念だが、「かす課す」が語源で複合動詞てあると考えるとドンピシャリだね。
君:勝手にそうお思いなさいませ。
私:はいはい。では、勝手に。今夜の話題の核心部分といってもいいが、飛騨方言には「からかす」でも説明できない、「かす」でも説明できない、つまりは「らかす」という文末詞もあるんじゃないかな、という問題提起だ。
君:何を訳の分からない事を。文例がいいわよ。
私:では。そもそもが複合動詞が作られる場合、前項動詞は連用形。例えば、なきじゃくる、なきさけぶ。これを飛騨方言では、泣きからかす、と言う。そもそもが「からかす」の語源が「かる駈」+「かす」であるにせよ、「かりかす」にならない理由は上述の如く、動詞の活用語尾のア段に接続、という文法があるからだ。つまりは「かす」は未然形に接続。ところで飛騨方言の動詞に「かからかす(欠く、欠かす)」がある。奇妙な動詞だ。
君:ちょいと訛っているだけよ。
私:それを言っちゃおしまいだ。文法で行こう。「か・からかす」と考えると奇妙。「か・」とは「かく欠」の語幹だろうか。「からかす」に上接する動詞は連用形でなくてはいけないから「欠きからかす」でなくちゃ辻褄が合わないよね。「かから・かす」が語源だとすれば上接する動詞は「かかる」の未然形という事になるが、「かく欠」と「かかる係」では完全に異なる言葉だから、やはりおかしい。ところがどうだ、飛騨方言に「らかす」という文末詞があるとして、そしてこれは上接する動詞が未然形、という規則だとするとドンピシャリだ。つまりは「かか・らかす」という事で、「かか・欠か」は動詞「欠く」の未然形。
君:確かにドンピシャリだけど、後からつけた理屈じゃないかしら。
私:もうひとつの屁理屈としては、下一「かける欠」の転かもしれない、という考え方なんかどうだろう。「かけ・らかす」から「かか・らかす」が生まれたかも、というのはどうだろう。「かけ・」は未然形。
君:何が何だか、よくわからないわ。
私:「空ける・空く」の自他対がかる。「あけらかす・あからかす」は飛騨方言のセンスにあうと思うが、両者とも上接動詞未然形+「らかす」で説明可能だ。
君:他のお方が内省なさって賛同が得られるかはわからないわよ。
私:そうだね。それにも今夜の左七の提言、上接動詞未然+「らかす」、の文法も数例の動詞について当てはまりそう、と言うレベルなので断定的な事はもう上げられないが。
君:そんな事を散歩の二時間の間、ブツブツと考え込んでいたのね。
私:そう。突然に閃いて、うん・間違いない、と確信した。数学にあやかって「左七の未然+らかす予想」と名付けたい。
君:そうやってあなたのサイトにアップし・「からかし」て、自分の考えをひけ・「らかし」て、真理を明「かし」たつもりで、皆を驚か・「し」ているのね。ほほほ

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