大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法

あべる(=浴びる)

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私:他ラ上一「浴びる」は飛騨方言では他ラ下一「あべる」。他に音韻対応する動詞がないか、十分ほど考えたが、みつからなかった。多分、この動詞だけ。
君:少し訛っている、という問題ではないのですよ、とでもいいたそうね。
私:まあね。今、季節は夏、小学校時代とくれば夏休みの益田川での川遊び、「みずあべ(水浴び)」を思い出すな。
君:連用形、つまり体言。大切な飛騨方言ね。私は庭で行水だったわよ。浮き輪を持って学校のプールにも行ったわ。
私:大西村を流れるのは益田川。下流を飛騨川という。益田川の上流はダム銀座だ。久々野ダム、朝日ダム、秋神ダム、高根第一と第二ダム。サイレンが鳴って緊急放水の事もある。中部電力が流域の学校全てに無償でプールを作った。以後は川での「みずあべ」は禁止となり、僕も大西小のプールへ行った。余談はともかく、「あべる」は全国共通方言。本州・四国各地の方言だ。「あびる(あべる)」は「泳ぐ」の意味もあって、これも全国共通方言。従って「みずあべ」には「水遊び・水泳」の二つの意味がある。
君:語源の古語は他バ上二「あぶ浴」ね。他マ上ニ「あむ」も同時代の動詞ね。
私:うん。実は「あむ」にはさらに語源があって、他サ四「あむす浴」。万葉集・3824 さし鍋(なべ)に湯(ゆ)沸かせ子ども櫟津(いちいつ)の檜橋(ひばし)より来(こ)む狐(きつね)に浴(あ)むさむ。実はこの他サ四が他サ下二「あむす浴」になる。宇治拾遺・13・9。
君:つまりは飛騨方言はじめ全国各地の他ラ下一「あべる」は他サ下二「あむす浴」が現在に生きていたという事なのね。
私:そう、その通り。実は数分前にこの記事を書き始めた時は知らなかった。今夜も方言の神様にいきなりお会いできた。
君:ほほほ、書き始める時は、飛騨方言は上二から下一へ変化したようだがどうやって理由付けをしようかな、なんて考えていたのね。
私:その通りだ。実はそうではなかった。飛騨方言の歴史はおそらく万葉時代に四段「あむす」、続いて下二段「あむす」、続いて他ラ下一「あぶ」、そして現代は下一段「あべる」。その一方、中央では四段「あむす」、上二「あむ」、上二「あぶ」、そして現代は上一「あびる」。今夜の結論だが、全国共通方言である時点で、単なる訛りではなく古代の音韻の生き残りの可能性を考えておく必要がある訳だ。がはは
君:下二段「あむす」が判りづらいわね。
私:宇治拾遺に下二「あむせたてまつる」の文例がある。これが「あべせたてまつる」「あべたてまつる」、分離し他ラ下一「あぶ」になったのだろうね。
君:なるほどドンピシャリ。
私:証拠は何もない。理屈に合うというだけだが、チョッピリ日本語の秘密に気づいてしまった感じでなんとなく幸せ。本邦初公開の可能性がある。
君:語誌の証拠がいるのよね。
私:飛騨方言でちょいと訛っているだけにね、現実は厳しい、学者のお方に興味をお持ちいただくのは難しいだろう。第一に僕は古文字、古書体学が苦手なんだ。活字しか読めない。黒い街並み(2020) 福井重治様、どこにいらっしゃるのですか。ご連絡くださいますと嬉しい限りです。彼は岐阜県の郷土史のプロのお方だ。
君:長忌寸意吉麻呂謌八首
標訓 長忌寸意吉麻呂の歌八首
集歌3824 刺名倍尓 湯和可世子等 櫟津乃 桧橋従来許武 狐尓安牟佐武。これが万葉集の世界ね。ほほほ
付記 賢明な読者の方にはお書きするまでも無い事ですが敢えて、飛騨方言で「あびる・あべる」と同様の音韻対応の動詞は他に存在しないようですが、理由はひとつ、「び」が「べ」に訛っているからではなく、そもそもが上古の動詞の活用が下二だったからです。若し間違っていたらゴメンネ。

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