大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法

上二段活用と下二段活用

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二日ほど前に別稿・「かわいらしい・かわいそう」にお書きした通りですが、江戸時代まで「かわいい(愛 or 哀)」だった形容詞が明治に「可愛らしい」と「可哀相だ」に別れた事をお書きしました。

その後の私ですが、今でも気になって仕方ありません。「潮来笠」の動画の中の可愛らしい彼女が可哀相だ、という事もですが、実は「潮来の伊太郎 ちょっと見なれば」という歌詞です。「見慣れれば」の間違いではないか、とお感じの方がやはり世の中にはおられるようで、ヤフー知恵袋に「方言の表現だろうか」という質問がありました。

結論から申しますと「みなる見馴」(下二)の連用形+順接確定の接続助詞「ば」ですね。「潮来の伊太郎をちょいと見慣れてしまえば」(あんな奴は薄情な様子の渡世人)という訳です。口語を避けて文語を使用したという事なので、戦前の人にとっては極、普通の言い回しであるにもかかわらず、文語をよく知らない若い世代には何だか間違った言い方、方言、に聞こえてしまうという訳ですね。

ところで、現代口語文法では上二段活用と下二段活用は消滅し、それぞれが上一段活用と下一段活用になっていますが、果たして本当に平成・令和の時代において二段活用は消滅してしまっているのでしょうか、急に興味が沸いてきました。また悪い癖で、口語文法たる二段活用は平成・令和の時代に方言としてしぶとくも生きてはいないだろうかという疑問も湧いてきました。これも結論ですが、飛騨方言の動詞活用について書かれた書物をあれこれ調べましたが、該当無し。飛騨方言の動詞活用で特徴的な点はたったのふたつです。ひとつは★「食べる」(下一)が五段化して★「たばる」という動詞になる事と、勧誘の意味の助動詞「まいか」が五段動詞に接続する場合にオ列未然形に接続する★「書こまいか、探そまいか」美濃方言等に対して飛騨方言ではア列未然形に接続★「書かまいか、探さまいか」という点があるという点ですね。

それでも先ほど来、ぶつぶつと内省をひたすら繰り返し、下二段をひとつ、発見しました。苦労をすれば得られたものは蜜の味です。たったひとつ有りました。「ありうる有得」です。勿論、「ありえる」と発音する事もありますが、「ありうる」という事もありうるでしょう。

上二段については比較的簡単にいくつか思い浮かべる事が出来ました。「燃ゆる・燃える」「過ぐる・過ぎる」「恥ずる・恥じる」「満つる・満ちる」等々、ア行から順番に各行に動詞を思い浮かべられます。現代口語でも上二段活用って結構、頑張っているなあ、と感じてしまいました。

ネット社会の有難い点ですが、「潮来笠」の作詞者が「佐伯孝夫」氏と判明、戦前戦後の名だたる歌謡曲の作詞をなさったお方である事も判明しました。代表曲の古いものが「さくら音頭」(作曲:中山晋平、歌:小唄勝太郎、三島一声、徳山l、1934年3月)という事で、歌詞を検索したところ、「散らばパッと散って」という事で五段のところを四段で活用、やはりね。また「燃ゆる太陽」(作曲:吉田正、早稲田大学創立80周年・応援歌、1962年)これも佐伯孝夫氏でしたか。さて独立行政法人化により国公立においてすら統廃合の嵐、岐大はいずれ名大に統合される運命に、ただし如何に少子化時代とは言え、日本の国から旧七帝・早慶がなくなる事は有り得ないでしょうから、下二「燃ゆる」(太陽)は早稲田と共に不滅という事ですね。

あくまでも私的な事ですが、心情的には早稲田と言えば「紺碧の空」、これっきゃありません。その昔、高校の級友・早大卒の彼女とお酒の勢いでデュエットしてしまいました。ところで私は岐阜県立斐太高校の卒業(1972)ですが、三年間、毎年の秋恒例の体育祭の応援合戦で「紺碧の空」の替え歌を歌い、歌詞とメロディーは今でも脳裏に焼き付いています。つまりは斐太高校の伝統、体育祭の「パクリ歌」祭典ですが、他のレパートリーとしては慶応「踊る太陽」、慶応「若き血」、東大「ただひとつ」、法政「若き日の誇り」、軍歌「加藤隼戦闘隊」、革命歌「インターナショナル」、等々、当時はパクリとも知らないで一心不乱に歌ったものでした。
まとめ 私は方言の語彙集めも面白く感じますが、日本歌謡の歌詞集めもハマりやすいようです。

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