大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
せる・せん |
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私:共通語というか、東京式ではサ変動詞の活用は「する・しない」だが、ギア方言では「せる・せん」になる。 君:でも最近、令和の時代では「せる」は話されないのじゃないかしら。 私:そうだね。飛騨・岐阜市・名古屋市で「せる・せん」が話されていたのはせいぜいが戦前辺りまでだろうか。私は昭和28年の生まれで、1960年代の小学校時代に他ならぬ僕が村で話していたのだが。「せる・せん」がギア方言である事を知ったのは金田一春彦先生のある著書で。彼は父親・東京帝大教授・金田一京介氏の後を追って東大教授になるのが夢だったが、時枝先生に気に入ってもらえず、都落ち、つまりは名古屋大学へ御来名。従って先生が名古屋方言については特に造詣がおありなのは当然と言うべきか。実は僕は飛騨方言ではサ変終止形が「する」ではなく「せる」である事を何故だろうと不思議に思っていたのだが、先生の著書に「せる・せん」を発見して思わず目から鱗だった。やはり僕とは頭の構造が違っていらっしゃった。更に詳しくは信州大学教授・丹羽一彌先生著、日本語動詞述語の構造、笠間書院。 君:要は否定の助動詞「ない・ぬ」のお話よね。 私:その通り。この件に関しては岐阜県全域と愛知県全域はスッポリと関西圏に含まれてしまうので、岐阜県の方言と愛知県の方言が完全に瓜二つで、なんとなく関西系方言っぽくも感ずる要因になっているのだと思う。つまりは飛騨方言の文法は畿内文法だが、尾張方言もそれに近い。 君:はじめに否定の助動詞「ぬ」ありき、という事かしら。 私:そうだね。飛騨方言でもそうだが、名古屋方言というのは「書きゃせん」「書けせん」という事で「かかぬ」というところを「かきはせぬ」という事で、なんでもかんでもサ変動詞を後行動詞とする複合動詞で表現する傾向があると思う。「する・せん」がいつのまにか「せる・せん」になった可能性もあるだろうし、上代から「す・せぬ」というよりは「せり・せぬ」と言っていたのではなかろうか。つまりは「せり」を品詞分解するとサ変未然形「せ」+完了・過去「り」。 君:ほほほ、上代からかも、とは随分と大胆なご発言ね。 私:完了・過去「り」は立派な上代の助動詞だ。然もですね、御存じ、この助動詞は四段・サ変動詞のエ段(命令語形相当語形)に付く。だから僕の予想では奈良時代から名古屋では「せり」だ。近世や近代においてチョイと訛ったというようなお話ではないと思うよ。 君:Oh, you've made a serious mistake. それは考えすぎ。完了・過去「り」はもとは動詞の連用形「イ甲類ないしそれ相当」に「あり」が付いて「行きあり」「行けり」のような変化から始まったもの。つまりは上代、つまり奈良時代に上一段とカ変から始まったのよ。中世以降には二段形にも用いられ「逃げり」があるけれど、サ変の上代から説には文例が必要、つまりは単なる思い付き。万葉4025には「朝凪思(し)たり舩尾もがも」。つまりは「してあり」。上代にはそもそも「せ」の音韻が存在せず。 私:うーむ、そうか。じゃあ妥協して中世あたりからギア方言で「せり・せぬ」だったのかな。 君:そんな事、誰にもわかりゃせん。 |
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