大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
くた |
戻る |
数日前に別稿・伊勢物語にお書きした通りですが、鶏の古語は「くたかけ」です。また続いては昨日、語彙コーナー・にわとりに体言「くた」のルーツは用言、つまり「くつ朽」自タ上二、「くたす朽・腐」他サ四、の何れかの動詞にあるかもしれない、とお書きしました。ところが先ほどですが、名詞「くた」をネットで発見し、なあんだ・そうか、と気づいてしまいました。広辞苑無料検索に・・くた【朽・腐・芥】ごみ。くず。あくた。元真集「小揺ぎの渚に風の吹きしから―も残さず波もよせけり」・・があります。元真(もとざね)集は藤原元真の私歌集で、十世紀半ばの歌集です。成立は十世紀前後にて、つまりは伊勢物語「くたかけ」の後代・元真集に体言「くた」の記載があったという事です。 動詞「くつ・くたす」は共に万葉集(672-759)の言葉ですから、万葉集に体言「くた」があれば、和語の体言「くた」が元々あって、そこから二つの動詞が派生(「す・さす」)したという事にはならないでしょうか。万葉集語彙はデジタルアーカイブされていて、検索が可能です。ただし、現実は甘くは無く、体言としては固有名詞「久多見山」のみのようです。ただし、体言+「す・さす」の表現は結構あるので、私としては万葉の時代から「くた(汚い事)」という体言があって、これの動詞化が「くつ朽」自タ上二、「くたす朽・腐」他サ四なのかな、と感じてしまいました。 調子に乗ってしまった私は現代語にある「ちりあくた塵芥」「一緒くた」「くたくたになる」「くたばる」「くたびれる」などという表現は全てが元真集の体言「くた」と同根ではないのか、と考えてしまいます。更に調子に乗って日本方言大辞典で全国の方言も調べてみましたが、こちらはニワトリではなく、「くた」は接尾語(辞)で、人を表す時に付けて卑しめののしる意を表すようです。「ばばくた」「じーくた」島根県出雲、「くた」島根県仁多郡、「くちゃ」島根県能義郡、という事で島根県のみでした。 飛騨出身の私が島根方言を知ってなんになる、という事ですが、気分は最高、実は今日も方言の神様に突然にご対面してしまった気持ちです。心に電気が走ってしまいました。朝日新聞記事2016年03月05日にあります山根美奈子さんは私が1978年に医師として研修をスタートした安生更生病院に勤務しておられました私と同い年の助産師さんです。 癌闘病8年、山内賢さんはこの歌を最後にお亡くなりです。和泉雅子さんは顔で笑って心で泣いて歌われたのでしょう。安生更生病院当時の私が美奈子さんに密かに恋心を抱いていた事は家内に既に打ち明けていますが、ご実家の事情だったのでしょう、当時、私に何も告げないで急に郷里へ帰ってしまわれました。キスは有りませんでした。独りぼっちの私はその後に家内と巡り合い、今こうやって十二分に幸せなので決して罰当たりな事は書けませんが、音信不通のまま40年の月日が流れてしまったお方が今もお元気で仕事に邁進しておられる事をつい先程に知って私は嬉しくてしかたありません。然も奇遇と申しますか、上述の島根方言はピンポイントで彼女のお国言葉なのです。ネット検索の有難い事、ともあれ、お元気でいらっしゃる事がわかりました。願わくは彼女がこの記事に気づいてくださる事ですが、贅沢すぎる夢というものでしょう。残念な事がひとつ、写真に肝心の彼女が映っていません。私の次なるライフワークは島根方言の研究になりそうです。脱線したので元真集の話に戻りましょう、 こゆるぎの/渚に風の吹しから/くたものこさず/浪も寄せけりこの和歌を意訳しますと・・・小動岬(こゆるぎみさき)の渚に(先ほどは、あららっ)いい潮風が吹いてきて、そんな時点からですね、芥火(あくたび:ごみや、ちりを焼く火。特に、漁夫が、流れついた藻芥(もあくた)を集めて焚く火。)のゴミが残らず無くなってしまって、(白砂青松のロマンチックな海岸となって)波が寄せていたのは。(ほんと、「くた」って汚くていやだよね、そんなたびに風が吹いて海岸をきれいにしてくれるから、ここ・小動岬ってデートスポットには最高だぜ、うーん潮風にたなびく可愛いあの子の黒髪がたまんないよ!!!)・・・というような意味なのでしょう。 つまりは小動岬は神奈川県鎌倉市腰越2丁目にある岬で結構、歌枕で詠まれている場所のようですね。「こゆるぎのいそ小揺磯」を「こゆ越+いそぎ急」にかけて、恋人の元へ急ぐ気持ちを歌うのがひとつのパターンだそうで、いやはや。飛騨出身の私がこれだけは泣けて仕方ない、飛騨には歌枕が一か所もありません。親父・お袋、許してくれ、俺は実は鎌倉で生まれ育ちたかった。 ですから「くたかけ鶏」の原義は「ゴミのような鳥」という事で、ニワトリさんに対して最大限の侮辱であったようですね。ところが面白いのが、この「くたかけ」が後世には「くだかけ」と濁音化して鶏を示す雅号となってしまったという事です。「くたかけ」はその後「家ツ鳥」「庭ツ鳥」と呼ばれ、うやまわれる存在となり、「くだかけの」は鶏にかかる枕詞になってしまったようです。日葡辞書には Cudacaqe の記載がありますので、「くたかけ」が死語になったのは江戸時代という事も判明しました。 |
ページ先頭に戻る |