大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 飛騨の迷信・言い伝え

子供がおそまで外であすぶとサーカスに売られる(言い伝え)

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飛騨方言の解説ですが、"おそまで"は"遅くまで"のウ音便化に続き"う"の脱落です。 "あすぶ"は"あそぶ"です。子供が夕方になればさっと家に帰らないと心配なのは 当然の親心であり、どこのご家庭でも同じような事が言われていたでしょう。 これ以上立派な言い伝えはありますまい。 そういう私も、かつて愛娘といっしょにピノキオのディズニー映画を見たときに、 つい同じ事を話してしまった事も思い出されます。

サーカスといえば、懐かしく思い出されるのが高山にやってきたサーカスです。 幼い私は父に連れられて見に行ったのですが、生きた象はやはり圧巻で、 また大きなかごの中にオートバイが二台入り、爆音も勇ましく猛スピードで トレッドミルを行った事とか。また見世物小屋もがありましたが、 何と私はそこで生まれて初めて生きた人魚をみたのです。

脱線しますが、その時、父が"ここの場所はかつて、戦前に国技館といった場所だ。"と ひとこと、一回だけ教えてくれた事を覚えているのです。

勿論、それにはわけがあって、サーカスの後、親戚に寄ったのですが、 私がうれしげに、得意げに今日見てきたサーカスの事を叔父に長々と講釈し、 最後に国技館について触れた途端、叔父が、
"あーれ、恥ずかしい、国技館なんて。そんな古臭いこたぁ覚えんでもええし、 人にそわんほうが(=言わない方が)ええ。"
と言うではありませんか。 どうにも、私の性分としてはこのような(余計な)ひと言は忘れようにも忘れられなく、こうやって実に 四十年以上、心の中にしまい込んでいた次第です。これについては、 おりゃ婦人科へ行って来るさ。 副題:飛騨を馬鹿にせんでもええろ(=いいでしょう)! にも同じ気持ちを書いています。

ところで"高山市"+"国技館"でたった今、ネット検索しますと、一件のみヒットしました。 「宮川朝市の歴史」 に、"昭和18年陣屋前、国技館横、別院前の3箇所で20万貫目の野菜を販売"と記載されており、 国技館跡地のあのサーカスの懐かしい思い出がよみがえります。

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