大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
あさんず(2) |
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私:「あさんず」と言えば下呂市萩原町上呂の「あさんずの橋」の事。いままで幾つか記事を書いてきた。 君:あなたがこだわる理由は? 私:ひとつには田中大秀。 君:江戸時代の国学者ね。 私:そう。本居宣長の直弟子。生まれも育ちも飛騨のお方だ。実は「あさんず」の語源論争は当時がピークで、つまりは古い話という事になる。僕自身もこの四拍の固有名詞に強烈な興味を覚えた。 君:どうして? 私:日本語の音韻としては極めてユニーク、この一言に尽きる。従って語源についてもトコトン考えざるを得ないね。他にも拘りの理由は有るが・・ 君:ほほほ、書かなくてもいいわよ。つまりは皆様へお披露目する左七の気持ちは国学者・田中大秀と同じという事ね。 私:まさにその通り。彼の説は「あさみづ浅水」。 君:何か発見があったのね。 私:その通り。 君:結論からお願いね。しかも簡単に。 私:うん。角川古語大辞典に「あさむづのはし」の記載がある。「む」は当然ながら読みとしては「ん」。従って表記は「あさむづ」だが、音韻は「アサンズ」。ちょっと待ってくれ。若しかして語源って「あさむつ」なのかなぁ、なんて考えたくなる。「あさむつ」ならば日本語の音韻としてなんら問題は無い。 君:なるほどね。漢字の表記、つまりは意味はどう考えるのかしら? 私:「浅」ではなく「朝」、「水」ではなく「むつ六」、つまりは「あけむつ明六」、朝の六時ころ、の転ではなかろうか。つまりは誤れる回帰というか、民間語源というか。 君:誤れる回帰というのは上呂村のご先祖様方に失礼だわよ。 私:うん、その通りだね。ただし僕はこう思う、言葉・口語・方言というものはそもそもが素朴なもの、僕の心の中に湧き出てくるものが飛騨方言の語源なのだろうという確信。今まで語源探しを随分やってきた。ご先祖様方がなぜ、今となっては意味がよくわからない飛騨俚言をお話になったのだろう。興味は尽きない。 君:浅水ではどうしていけないのかしら? 私:あさんず橋にたたずめば自然にそういう気持ちになる。益田川は深い。だからこそ橋が出来た。逆に僕からあなたにお聞きしたい、深い川をどうして浅水といわなければならないのだろう。僕の心は素朴だ。 君:それはたしかにそうね。 私:例文といこう。「はしはあさむつのはし」枕・64。ご存知『変体仮名・くずし字』で「あさむづ」。原本は「あさむつ」だろうかね。枕草子は原本どころか、写本ですら完全なものは現存しないという事実が大切。つまりは浅水は後世の当て字だ。どうでしょう、田中大秀先生。 君:左七の文学ロマンは結構ですが、さあ、どうかしら。 私:「漸白根が嶽かくれて、比那が嵩あらはる。あさむづの橋をわたりて、玉江の蘆は穂に出にけり」奥の細道、 元禄2年8月14・15日。なにせ江戸時代。当て字以外の何物でもないだろう。 君:どうだか。 私:この辺で終わりにしよう。催馬楽の曲名。「りつ律」の曲。「あさむつのはしのとどろとどろと振りし雨の、古りにし我を誰ぞこの、仲人たててみもとのかたち消息しとびらひに来るや、さきむだちや」。著問集六にも浅水橋の記載がある。 君:催馬楽は平安、古今著問集は鎌倉、つまりは語誌的には古ければ古いほど信憑性は増すわね。つまりは催馬楽。 私:その通り。「あさんず」の語源は枕草子と催馬楽、「あさむつ」で決まりだ。催馬楽成立研究の可能性なども参考までに。著問集以降は当て字の可能性がある。 君:明け六つ・暮れ六つは江戸時代だけど、由来は延喜式なのよね。萩原町上呂に残る平安の言葉「あさむつ」がいつしか江戸時代あたりに明け六つになったのかしら。ほほほ |
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