大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

ほかる(3)

戻る

飛騨方言動詞「ほかる」ですが、語源についてはすでに二編、書いています。【ここ】と【ここ】です。実は語源論を語るにもうひとつ、どうしても触れておきたい事があるのです。それはアクセント論です。「ほかる」の語源は「放下」に間違いないようですが、更にアクセントの理論で強固に論述しよう、という目論見です。

飛騨方言動詞「ほかる」のアクセントは尾高(○●●)で、つまりは上がり調子で、アクセントの滝は三つめのモーラ「る」にあります。そして私がとても気になるのが、関西方言「ほかす」のアクセントです。私の座右のアクセント辞典は三省堂版とNHK出版の二冊ですが、そもそもが「放下」は古語であり、現代語ではなく死語に近いので、両アクセント辞典には記載がありません。そもそもが両辞典は東京式アクセントの辞典であって、京阪式アクセントの辞典でもありません。そこで早速にユーチューブを検索してみたところ、ふふふ、ありました。



ふふふ、関西方言「ほかす」は飛騨方言「ほかる」と同じく尾高(○●●)でした。そうでないと私は大変に困ってしまうのです。

この動詞のアクセントが関西方言と飛騨方言で同じなのですから、話は誠に簡単です。つまりは古語たる「放下」も尾高だったに違いありません。そして関西では「ほうげ(尾高)室町」>「ほうげする(尾高)安土桃山」>「ほうげす(尾高)江戸明治」>「ほげす(尾高)江戸明治」>「ほけす(尾高)江戸明治」>「ほかす(尾高)現代」と言うように変化してきたという事ですね。つまりは室町から現代までアクセントは一切、変化せず、音韻のわずかな変化が積み重なったのです。「ほうげする(安土桃山」)>「ほうげす(江戸明治)」の音韻変化が劇的な変化とも言えますが、なにせ5モーラから4モーラへと末尾のひとつのモーラが脱落するわけですから、それでも「ほうげする・ほうげす」を両語を尾高のアクセントにして一万回ほど口に出してしゃべってみてください。最後には舌が疲れてしまって「ほうげす・ほうげす」になってしまうはずです。これが若し「放下」が頭高(●○○)である、つまりはアクセントの滝が「ほ」の部分にあるとすれば「する」の部分でモーラの脱落は普通は生じないでしょう。日本語はピッチアクセントですが、低い音ではモーラの脱落は起こりにくいのです。

飛騨方言でも室町から現代の間に同様の音韻変化があったのですね。ただし関西方言と違った点、運命の分かれ道は、「ほうげする(安土桃山」)>「ほうげる(江戸明治)」の音韻変化が生じた事です。飛騨の人々の舌では「す」が脱落してしまったのですが、「す」も「る」も高い音なので、関西方言も飛騨方言も省エネルギーの法則で、2モーラが1モーラになった事には変わりがない、つまりは方言の音韻変化の一般則がありますよ、というわけです。

結論ですが、言葉が変化して各地の方言に変化するのですが、常に、モーラの脱落と短呼化、つまりは省エネルギーの法則が働きます。ただし、意味はあまり変わらないのですが、元となる言葉のアクセントはずうっと引きずって何世紀も経ていくのです。何世紀経てもアクセントの核もアクセントの滝も変化しないんだよ・それが日本語、というのが筆者の主張です。若し間違っていたらごめんなさい。

ページ先頭に戻る