大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

助詞「の」の撥音便

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私:この方言サイトは実に気まぐれ、つまりはフッと疑問に思った事を調べては、解決しては、皆さまにお伝えしなくては、というスタンスで書いている。
君:随筆ね。今日のテーマはどういうきっかけなの?
私:ははは、関西方言だと「きっかけなん?」じゃないかな。
君:そうね。じゃあそれがきっかけなん?
私:いや、違う。昨日はユーチューブで飛騨民謡「飛騨やんさ」を発見して、その記事を書いたのだが、それがきっかけだ。
君:「やんさ」が撥音便につき、この言葉に触発されたのね。
私:うん、それもある。「大阪やんけ」というとこれも大阪方言になるのかな。
君:ネット情報が多いし、テレビでも聞くわね。
私:「やんさ」の語源は「じゃのさ」だろうね。つまりは「飛騨やんさ」は「飛騨なのです」という意味だよね。
君:口語的には「飛騨やさ」で「飛騨です」の意味になるし、「やんさ」という音韻はこの民謡の独占という事で、日常の活用語としては用いられないのじゃないかしら。
私:そうだね。「飛騨やさ踊り」という事で七拍にする手法もあったのだろうが、「ん」を挿入して五拍として「飛騨やんさ」という言葉としたのであり、終助詞「の」の撥音便とは考えないほうがいいね。単に語調を整えるための「ん」なのだろう。
君:そんな事を言いたくて書いてきたわけ?今日の文章はパンチがないわよ。
私:いや、「やんさ」はホンの序章。書いてもいいし、書かなくてもいいような些末な事だ。もっと大切な事で今日のお話を始めたい。
君:あらあら、失礼しました。今日のお話は?
私:飛騨やんさの囃子言葉「よいんやさの、よいんやさの、えっさっさ」についてだ。
君:あら、飛騨方言「よいんやさ」は「よいのじゃさ」の撥音便という事で説明済みだわよ。
私:それはそうだが、撥音便のついでに「よいんやさん、よいんやさん、えっさっさ」とならないのは何故だろう。
君:確かに調子が狂うわね。
私:つまりは、そもそもが助詞「の」は何種類あるのだろう、という命題だ。
君:格助詞と終助詞の二種類よ。格助詞の場合は少しばかり複雑で、連体修飾語、主語を示す、同格を示す、連用修飾語、形式名詞、等々。終助詞とて同じ事で、感動、確認、希望、疑問、等々。
私:受験の山場というところかね。角川古語大辞典には更に、準体助詞で四種類の意味、並列助詞で一種類の記載が加わる。たかが「の」・されど「の」、という事だね。
君:高校時代は松崎先生に品詞分解をしごかれたとお書きだったわね。
私:ああ。今日は古典の華麗なる「の」の世界ではなく、現代口語文法の話に限定しよう。
君:文例があるといいわよ。
私:勿論だね。現代文で助詞「の」と言えば、格助詞「このサイト」、終助詞「君も帰るの?」、準体助詞「言うのは楽だ」、この三つくらい。
君:ほほほ、そこで撥音便のお話を持ち出すという作戦ね。
私:その通り。「君も帰るん?・言うんは楽や」とは言うが、「このサイト」は撥音便にはなり得ない。
君:ほほほ、つまりは撥音便の謎を紐解けば、終助詞と準体助詞のみ。格助詞では日本語としてアウト、という意味よね。
私:そう。その通り。そのような文法規則に僕は今日、気づいてしまった。
君:ほほほ、どこかの成書に記載されているでしょ。
私:だとむしろ有難い。そのほうが僕は実は気が楽だ。僕のようななまくらのアマチュアが口語文法の規則を21世紀に日本人として初めて発見する訳が無い。
君:でも、ネット情報とか、あなたの書斎の書籍を片っ端からお調べになっても記載が無かったのよね。
私:ああ、無かった。不思議でしかたない。
君:ほほほ、気味が悪いわね。
私:それにもうひとつの発見があった。
君:えっ、どういう事?
私:答えは上記の文例に既に現れている。
君:「君も帰るん?・言うんは楽や」は関西方言っぼいという事かしら。
私:その通り。学術的な記載ならば、終助詞「の」と準体助詞「の」の撥音便は上方方言の特徴のひとつである。
君:「よいんやさの、よいんやさの、えっさっさ」でそこまで気づけたのね。
私:そしてこのお囃子の「の」は格助詞に違いないという事もわかるね。だって撥音便になっていないのだから。
君:ほほほ、つまりは「えっさっさ」を修飾する言葉を二回ばかり繰り返しているという意味ね。
私:その通り。ただし、話はそれだけではない。この格助詞「の」で、もうひとつ気づいた事があるんだ。
君:ほほほ、何なの。
私:以下は大修館・日本語文法辞典の内容の紹介。格助詞「の」には大きく二通りの用法がある。
君:二通りとは。
私:ひとつは場面や文脈に限定された用法。
君:例えば。
私:「伯父さんの先生」。
君:どういう事かしら。
私:文脈によって「教師をやっていらっしゃる伯父さん」「伯父さんが薫陶をうけた伯父さんの恩師」、前者は伯父さん=先生、後者は伯父さんと先生は他人。
君:ほほほ、伯父さん=先生の前者論理で「よいんやさ」=「えっさっさ」と解釈できるわね。
私:その通り。後者論理は有り得ない。そして大きく二通りの用法のもうひとつについても解説が必要だ。一般的な用法という。
君:例えば。
私:「メダカの先生」。
君:確かにいろんな意味があるわね。
私:「メダカの中で一番大きいのでその他が生徒のようにみえるあたかも先生のようなメダカ」「メダカの生態研究に詳しい理学部生物学科の先生」はたまた「ギョロリとした目つきでメダカというあだ名がついてしまった担任」、その他にも「メダカが描かれた洋服をお召しの女先生」とか、種類は無数に存在する。これが一般的用法。この連語の用法は二つの体言の意味の違いによって「カザリとカザラレの関係」が発生している。
君:「よいんやさの、よいんやさの、えっさっさ」にあてはめたらどうなるのかしら。
私:「いいですよ」をモチーフとした「えっさっさ」踊り、とか、「よいんやさ・えっさっさ」共に「いいですよ」の意味、とか。無限にある。
君:ほほほ、ではおしまいね。
私:いや、始まったばかりだ。
君:えっ、まだあるの。
私:ついでだからプロミネンスについてお話ししよう。
君:英語で「尖がった所」という意味よね。
私:その通り。日本語は高低アクセントだから一つの単語については一か所だけ高い所、つまりプロミネンスがあって、これをアクセントという。特に一モーラに着目してアクセントの核という事もある。
君:お囃子だから連語だわよ。文章の場合、プロミネンスとは文章で一番に高く発音される個所なのね。
私:その通り。文章にはアクセントは無い。アクセントは個々の単語に存在する。文章に存在するのはプロミネンス、リズム、イントネーションだが、プロミネンスは一番に高い部分だから誰でも容易に理解できる。
君:例えば。
私:「君、だれ?」の場合、プロミネンスは「だれ」。ただし「君って、若しかして、斐太高校の、後輩の」の場合は「君って」がプロミネンスだ。前の文章は「だれ?」でも意味が通じるし、後者は「君って・・!」でも意味が通じる。プロミネンス部分のみで会話が成立すれば恋人ないし夫婦関係のような極めて親しい間柄。「だれ?君って!」「私。お久しぶりね。」
君:ほほほ、「よいんやさの、よいんやさの、えっさっさ」のプロミネンスは「えっさっさ」なのよね。よくそんな事まで気づくわね。
私:毎日、診療の合間にそんな事ばかり考えている。
君:ほほほ、「飛騨やんさ」ではなくて「えっさっさ」音頭でも良いのじゃないかとおっしゃりたいのよね。
私:まあ、そんなところかな。ほんとうにこれで最後にしよう。格助詞「の」の撥音便化で方言らしい響きになるという事について。
君:一言でお願いね。
私:清少納言がこれを嫌っている。枕草子186段。撥音便は下品であるとのお考え。
君:いとわろし。まいて文に書いてはいふべきにもあらず。イ音便は上品とのお考えなのよね。
私:気の強い女性だね。
君:あらあら、貴方にお似合いだわよ。聡明で美人でセレブなおかたなのだから。ほほほ

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