大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

つくなる(=うずくまる)

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私:別稿のつくねる・つくなるに語源は前者が他ナ下二「つくぬ捏」、後者が自ラ四「つくばふ蹲」である事を書いた。
君:今回は「つくなる」の音韻変化について気付いた事をお書きになるのね。
私:ああ。語源についても深堀りしたい。
君:では早速。
私:まずは「つくばふ」から「つくなふ」へ、つまり b -> n 子音交替、これは問題ないね。口唇破裂音から歯茎破裂音へ、つまりは舌をちょいと持ち上げるだけ、よくある音韻交替。
君:ええ。でもより一般的には b -> m 子音交替だわよ。例えば「さぶい・さむい」。「つくばふ・つくまふ・つくなふ」の可能性は無いかしらね。
私:うん、まさにそうなんだよ。当然の疑問だ。「つくなふ」から「つくなる」、これについても問題は無いね。これも、偶然の一致か、口唇摩擦音から歯茎破裂音、ちょいと舌を挙げるだけだ。
君:つまりは「ばふ」から「なる」の変化は舌を少し持ち上げて歯茎に接触させるだけの事なので、別々の変化が立て続けに起こったというよりは一度に、つまりは一発変換で生じたのでは、とおっしゃりたいのね。
私:まあね。でも、そうでなくても構わない。要は舌の少しの変化だから、「ばふ・ばる・なる」と変化した可能性だってあるかもね。あまり本質的な事ではないと思う。
君:えっ、他に何かもっと本質的な事がある、とでもおっしゃりたいのかしら。
私:うん。「つくばふ」の語源について昨日から考えているのだけれど、語源辞典のどこにも書かれていない。
君:「つくばふ」の文例から年代がわかるわね。
私:うん。角川古語大辞典には詳しい。運歩色葉集。天正17。他にお伽草子、鳩翁道話は835年で著者は柴田鳩翁。従って「つくばふ」は中世・近世の言葉。
君:肝心の語源が書かれていないのよね。
私:その通り。ここは素直に、「つく突」+「はふ這」の複合動詞なのかな、と考えた。「つく突」は古事記にあるし、「はふ這」は万葉集。従って一気に古代の和語が語源という可能性が出てくる。
君:でも「つきはふ」でなくては辻褄があわないわよ。
私:そうなんだよ。「つくばふ」の語源は実は「つきはふ」であり、ライマンの法則、つまり連濁で上古あたりで「つきばふ」になったのではなかろうか。そしてこれがやがて「つくばふ」に変化したのが中世・近世と考えたい。
君:ライマンの法則は誰でもお認めになるでしょうけれど、「つき」から「つく」への、つまりは i -> u 母音交替を説明してね。
私:うん。「い」から「う」への母音交替は極めて容易に生じやすい。笑う訓練で「イー」をするように、意識して左右の口角を吊り上げないと「イ」の音は作れない。とろが「ウ」は口をすぼめるだけなので容易。実際、土田吉左衛門著「飛騨のことば」にも「しずむ・すずむ」他、14個の母音交替例の記載がある。
君:なるほど「つき」から「つく」への母音交替が上古から中世あたりの音韻変化だったのだろうな、と考えたのね。
私:音韻学的につじつまがあうし、「つく」+「はう」で意味もピッタリ。ただ、肝心な点だが、「つきはふ突這」という動詞の文献が無い。語誌学的にアウトなんだ。
君:それは残念ね。でも、これでよくわかったわね、どうして語源学に「つくはふ」が出てこないのかが。文献が無い以上、証明した事にはならない、という事で、要は単なる佐七説。でも、案外そうかもよね。ほほほ

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