大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
音韻構造における非対称性 |
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私:表題だが、どう思う? 君:飛騨方言の総論の項目に書こうといういう事は、何か飛騨方言の具体語があるのかしら。 私:昨晩は飛騨方言の一般名詞「きっぱ」についてご紹介申し上げた。語源は古語名詞「きは際」。多義語の「きは際」だが、飛騨方言では専ら時間の区切り目の概念で用いられるが、共通語の、間際・死に際、などの言葉に意味的にはピタリと通じている。 君:はいはい、わかったわ。では「音韻構造における非対称性」という事も簡単に説明してね。 私:例えば特集「音韻構造における非対称性」に触りが書かれている。 君:この文章がどうかしたの? 私:「音韻構造における」については問題ないとして、「非対称性」という言葉に僕としてはドキッとしちゃうんだよ。これは参考文献 Di Solutio, Anna M. (ed ) (2002) Asymmetry in Grammar. Amsterdam: John Benjamins.の直訳だろうね。 君:ドキッという表現からは貴方の狼狽ぶりがわかるわね。非対称性でどうしていけないのかしら。 私:僕の生業は医者、つまり自然科学、関連する分野と言えば有機化学、生物学といったところだが非対称性を違った意味で使うから。 君:例えば。 私:人体は無数とも言える化学物質が巧妙に組み立てられて出来ている。化学物質は全て光学異性体を形成する事が可能、つまりは化学構造式は全く同じだけれど、完全に鏡面関係にある双子の物質、このような分子には対称性があるという。飛騨方言の話に戻るが「きは」の語源は「き刻」+「は端」、だから対称性と言えば「きは」「はき」この二つの音韻の対の事を示すのか、なんて考えてしまうのだけれどね。蛇足ながら分子の形によってはくるくるとヒンジのように一部分が折れ曲がる事もできる。ブドウ糖と言えば単一の分子のように感じてしまうが、実際には dl-異性体があり、trans/cis conformation の変化が起きる。これだけで四種類だ。 dl-は対称性の問題、trans/cis は非対称性の問態。 君:人文科学と自然科学は全く異なる学問だから言葉の定義が違って当然よ。 私:そうだね。つまりはこの場合における非対称性とは「き」+「は」から「きは」という2拍の言葉が生まれたのであり、逆はありませんよ、という意味でお使いなわけだ。「きは」という2拍の言葉があって、これがやがて意味と音韻が分裂して「き」という言葉と「は」という言葉、二つの言葉になる事はない。 君:でも、何か言いたそうね。 私:そうさ。日本語の歴史を考えると、まずは和語が上古に存在した。そして外国語の影響を受けながら各種の音韻変化をして現代語に至っている。つまりは一方向の変化という事だね。だから非可逆的変化という事だ。だから自然科学的(化学的)には可逆性の意味を内包する非対称性という言葉には違和感を覚えるね。数学的にはエントロピーの増大といったところか。ありていに言えば、言葉は言いやすい方向へ変化するのであって、逆は有り得ない。 君:屁理屈はいいから、飛騨方言「きっぱ」を例に結論を言いなさいよ。 私:はいはい。上古の祖語として「き」「は」、この二つの音韻があった。これがくっつき「きは」の言葉が生まれた事を音韻構造における非対称性という。上古の「きは」は飛騨方言で促音便となり「きっぱ」に変化した。これも非対称性。そして中央では「きは」は「きわ」へとハ行転呼した。ぶっきらぼうな言い方をすれば飛騨方言の促音便も中央のハ行転呼も平安時代あたり。日本各地の方言はすべからく非対称性の歴史から生まれた産物である、ってなとこかな。 君:各国の言語がそうなんでしょ。だって英語で書かれた言語学の輸入なんですもの。 私:まあ、そんなところだ。 君:でも、・・・何かかくしているわね。 私:へへへ、バレたか。僕にとって非対称性は回文で無い文章の事。つまりは対称性とは回文の事。究極の飛騨方言・飛騨方言回文コーナーをご参考までに。しいて言えば、上から読んでも山本山、下から読んでも山本山、海苔なら山本山の海苔。 君:そういうふざけた文章は対象性が問題ね。回文ならぬ、貴方にとっては快文でも、私にとっては怪文よ。ほほほ |
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