大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
ささって(=あさっての次の日) |
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私:ひさびさ、飛騨方言ささって、の語源について考えよう。 君:既に記載の通り、語源は堀井令以知、ことばの由来、岩波新書、2005年2刷の通りで、「さい再」+「あさって」でいいんじゃないの? 私:ああ。でも少しひっかかるものがある。直感とか、いわゆる素人の語源学に近いけれど。 君:何が引っかかるの? 私:まずは、あさって明後日、の古語について。あさて、が古い言い方。これが後代に、あさつて(アサッテ)、に音韻変化する。三モーラが四モーラに増えたのは日本語の最小語条件、即ち二拍の倍数、が働いたためでしょう。 君:何が言いたいわけ? 私:要は、あさて・あさつて、これって和語でしょう。その当時から、では更にもう一日先の日は何かという意味の生活語彙もあったに違いない。ところで、さい再、これって漢語、つまりは外来語でしょ。古語というか、和語ならば、かさねて・また・ふたたび・たちかへり、あたりじゃないと、僕的にはしっくりとこないんだけれど。漢語と和語の合成語・さいあさて、って言い方、あり得ない話のような気がする。 君:ふたたび再、これも、ふた二+たび度、という事で、二度、と書くのが本来よね。画数が多いから、一文字の再の当て字にしてしまったのよね。ほほほ 私:再明後日という説を全否定するわけじゃない。来週の次の週は再来週、また再来年についても然り。つまりは、日本語には、さ再、という接頭語が有る事は認めます。さ再、という接頭語が生まれて、あさっての翌日を、さあさって、と言い出したのなら、なんとなく納得はできるが、このような古語は存在しない。やのあさって、このような古語も存在しない。 君:つまりは、ささって、は古語辞典にない言葉なので、古代から中央で使われた事はなかったのね。 私:多分ね。つまりは、ささって、は地方で生まれて地方でのみ使われてきた言葉。飛騨地方はそのひとつ。 君:方言の戯言ね。 ほほほ |
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