大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法

うなぎ文

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僕:うなぎ文(ぼくはうなぎだ)、とは、料理の注文の時に、僕はうなぎを注文します、という意味で使う文。僕は人間ではなく魚のうなぎです、という意味ではない。「ボクハウナギダ」の文法という名著がある。故奥津敬一郎氏は日本の言語学者、東京都立大学名誉教授。
君:吾輩は猫である、との違いをお示ししてね。
僕:要は格助詞「は」「が」の違い。例えば、「は」と「が」の使い分けに少し触れている。
君:何か付け足したい事でも。
僕:そう。先ほど気づいた事がある。尤も、僕がふと気づくようなことはどこかの文法書に既に書かれている可能性がある。
君:簡単に説明してね。
僕:はいはい。格助詞「は」「が」はともに主格を示す格助詞。そして、うなぎ文になるのは複文(複合文)の問題であり、然も複文が従属節を従える場合に発生する現象だ。複文の主語を示す格助詞「は」は他の格助詞に置き換える事は出来ないが、従属節の主語を示す格助詞「が」は連帯格を示す格助詞「の」に置き換える事ができる。
君:理屈を並べ立てるより、例文がいいわよ。
僕:歌詞で行こう。例えば、星がきれいな夜だった。
君:なるほど、星のきれいな夜だった、と置き換えられるわね。
僕:そう。この文は短文ではない。主語が省略された複文。主語はなんでしょう?
君:ほほほ、あなたと私が出会ったのは星のきれいな夜でした。いやん、馬鹿。
僕:そう。君と僕の出会ったのは星がきれいな夜でした、と置き換える事もできる。
君:なるほど。僕はウナギだ、はどうかしら。
僕:僕はウナギが注文したい。僕はウナギの注文です。吾輩は猫である、に当てはめると、(これは)吾輩の猫である、は意味が異なってしまうので不成立。
君:なるほど。万葉集や記紀歌謡にも出てくるので日本人の心にしみこんでいるのね。ほほほ

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