大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨方言におけるサ行イ音便の歴史

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昨晩は文字のみで方言地図を作るお遊びに 興じてしまい、手元にある幾つかの資料で 地図を作ってみました。 そのひとつが中部地方におけるサ行動詞連用形イ音便の分布です。 出典から明らかな如く、お子様向けの 童話に近いような本なのですが、ネットに出品されていた古本です。 数ヶ月前に偶然に入手しました。 巻末資料が佐藤先生監修の記事ですから、 実は方言資料としても超一級資料、 中部地方のサ行イ音便の分布がさりげなく 表示してあるものですから、即座にアップロード、 思わずご紹介してしまいました。

方言周圏論という言葉がありますが、 京都を言葉の発信地として、サ行イ音便が地方に 伝播したものの、肝腎の京都においてやがて廃れてしまった、 と言う事で中部地方に帯状にサ行イ音便の地域が存在 するのではないでしょうか。 早速にネット検索しますとヒットした情報はたったひとつ、 中央語におけるサ行イ音便の衰退時期をめぐって という依田恵美先生の論文、 表題から、もはや明らかです。 サ行イ音便は中央で生まれ、また中央で何時の時代にか廃れてしまった。 当論文の価値は半分は表題にありましょう。

ですから大雑把に考えますと、広く中部地方に残るサ行イ音便は 十世紀前の京言葉を映しているという事になるのでしょう。 がしかし、現代語においては、もはや共通語にサ行イ音便は ありません。 女史の論文を精読しておりませんので、 若しや失礼にはなりませんでしょうか、 つまりは現代語の口語文法・カ行イ音便( 抱く−>だいた )との意味混濁を やはり嫌ってサ行イ音便( 出す−>だいた )が結局は廃れてしまったのでしょうね。 同音異義語の飛騨方言事件・だいて などもご参考までに。

なるべく真面目に考えますと、やはりサ行動詞とカ行動詞の 語彙を洗い出して、同音異義語になるとどんな飛騨方言事件 が生じうるのか、これを論ずるのが私の使命でしょう。 がしかし、女史が全て既にお書きになっている可能性がある。 しゃみしゃっきり。
おまけ
ネット出品者ですが、なんと超偶然の一致、 二十年前に筆者が住んでいたマンション、 名古屋市名東区の上社南住宅三棟、の方でした。 勿論、面識も何もありませんが、不思議な 御縁って本当にあるもんですねえ。 ほんとうのしゃみしゃっきり。

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