大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

打ち上げはおりぃがやらんにゃといさる兄

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飛騨方言では、僕が、というのは、おりぃが、になります。 飛騨方言でも、おれが、といってもいけない事はありません。 でも、少しきどった調子になってしまいます。飛騨方言丸出しで話す時は、やはり、おりぃが、と言ったほうがいいでしょう。 きどってといえば、ああ、おれもこの山国飛騨を後にして外国へ行くんだ、七つの海がおれを待ってるぜ、という程度に きどった言い方という意味です。これを飛騨方言でいうと
ああ、おりぃもこの山国飛騨を後にしてなあ、外国行くんやさ。七つの海ぁおりぃを待っとるんやぞ。
のようになります。そして飛騨方言の動詞・いさる、ですが、いさましく装う、いばるという意味です。 弟や妹は線香花火くらいは勿論、持たせてもらえましょうが、 打ち上げ花火の導火線にさっと火をつけ、ぱっと離れるのはお兄さんの僕がやらなくて誰がやるのですか、 といばる、つまり格好をつける兄という句意です。 ですから、おれがやらねば、と共通語の言い回しで詠んだほうが よいのかと、しばらく推敲していました。僧は推す、月下の門、僧はたたく、月下の門。

また、やらんにゃ、は、やらにゃ、でもよいのです。 おりぃがやらんにゃ、では少し字余り句になりますが、そのほうが俄然、飛騨方言の雰囲気が出ます。 更には飛騨方言ではすべての動詞で未然形に "んにゃ" をつけて,〜せねば、という活用ができます。例えば、
      飛騨方言  文語   共通語・口語 
五段 行く いかんにゃ いかねば いかなくては
上一 着る きんにゃ  きねば  きなくては
下一 得る えんにゃ  えねば  えなくては
カ変 来る こんにゃ  こねば  こなくては
サ変 する せんにゃ  せねば  しなくては
結論ですが、飛騨方言サイトですからやはり飛騨方言で。

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