大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

方言量

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私:「方言量」という学術語については当サイトの重要なテーマになっている、既に多くの記事で取り上げている。
君:今回は各単語ではなくて総論ね。
私:気ままに書いているので支離滅裂と言われてもしかたない。一つの事物に対してそれを表す言葉の地域差のはなはだしいものと、ほとんど地域差のないもの、つまりは日本語の言葉は方言量の多いものと少ないものに二別される。これに最初に気づいたのが柳田國男、きっかけは方言量が多い言葉「かたつむり」に着目した事だね。蝸牛考、高校時代の一番に印象に残る授業だ。
君:「方言量」が多い事には原則があるのよね。
私:その通り。あくまでも一般論だが
★小動物(かたつむり・めだか・ありじごく・おたまじゃくし等)
★遊び(片足跳び・お手玉・鬼ごっこ・ままごと等)
★マイナスイメージを持つ人間(おてんば・怠け者・臆病者等)
★栽培植物(ジャガイモ・トウモロコシ・ソラマメ等)
★草花(彼岸花・いたどり・すみれ等)
★親族名称(父・母・兄・親類等)
★人称代名詞(私・あなた等)
★程度を表す副詞(非常に・いつも・むやみに等)
君:それぞれに理由が考えられそうね。
私:ああ。あれこれ考えられるが、例えば
★子供がかってに名付ける(小動物・遊び)
★人間の業の深さ(マイナスイメージを持つ人間・程度を表す副詞)
★全国に種類が多い(栽培植物・草花)
★敬意逓減の法則(親族名称・人称代名詞)
君:つまりは小動物・遊びについては、動物の種類が多いわけでもないし、遊びの種類が多いわけでもないけれど、全国各地で子供達がかってに名前をつけちゃうのよね。
私:栽培食物と草花については逆の事が言える。亜種が多く、大人がそれに気づいていろんな名前をつけるからでしょう。それにもう一つ、とても大切な理由がある。よく引き合いに出されるのがナスとトウモロコシ。ナスには方言が無いが、トウモロコシには全国で300近い方言がある。何故だと思う?
君:ナスは種類が少なくて、トウモロコシの種類は多いから、というのではなさそうね。
私:その通り。ナスもトウモロコシも亜種は無いと言っても言い過ぎではない。ナスは古来から日本人に親しまれ、日本語が形成された上代には全国津々浦々で食用で親しまれていた。ところがトウモロコシは、度忘れ確か室町時代に、中国という外国、つまりは唐・モロコシ(唐土)から伝わり、数年で爆発的に全国に広まった栽培植物だ。
君:なるほど、言葉の広まるスピードが追い付かず、全国各地で勝手な思いで名前をおつけなさったのね。画期的な栽培植物だったのよね。
私:そうさ。米やナスが大和の国に元々あったのとは訳が違うんだ。
君:敬意逓減の法則というのはどういう意味かしら。
私:例えばキサマなんて言葉は昔は尊敬語そのものだったのだけと、やがては人をののしる言葉に格下げになってしまった。だから次から次へと尊敬の言葉を作っていかないと、尊敬の意味の人称名詞として使えない。その一方、人をののしる言葉はいつまでも生き続ける。従って親族名称・人称代名詞は増える一方というのが日本語の特質なんだ。
君:程度を表す副詞にもそれが言えるのかしら。
私:そうだね。有名なのが松本修「全国アホ・バカ分布考 ISBN4-10-144121-9 C0181」。
君:私以上に古典をお学びになったのだわ。
私:まさに。白楽天の話も素直に共感できるよね。あのお方は天才だな。それもそのはず、1969年、私は中三、東大紛争で東大の入試が中止だったのが私にはショックだった。そんな年に京大法入学、つまりはあのお方は日本一の頭脳に間違いない、72年京大法卒の底力をまざまざと見せつけられた思いだ。
君:では、おしまい。
私:いや、議論は始まったばかりだよ。
君:えっ、どうして?私は頭がスッキリと整理出来たわよ。
私:上記の原則が正しいか、つまりは言語学の立場から各国の言語の方言を調べてみないと真実には到達できないぜ。
君:えっ、若しかして、あなた・・・。
私:ふふふ、左七の底力、ネット社会の有難いところだが、"English dialect"をキーワードに調べると、おびただしいフリーコンテンツがヒットする。詳細は省くが、試しに「ありじごく」で調査したらざっと50個ほど出てきたよ。「ありじごく」に関しては英国人も日本人も考える事は同じ、という事を僕は日本人で初めて証明してしまった。
君:ほほほ、私、わかってるわ、どうせ半時間ほど調べただけの癖に。松本修さんと違って、あなたはお暇なそこそこの人よ。でも、ひょうきんで茶目っ気な面だけは評価するわ。
私:お言葉だな。ははは、まあ何とでも言え。ところで人称代名詞に関しては驚くべき事実、英語には方言が無い。「私」は「I(あい)」のみ、尤もね、古語ではich だからこれじゃあドイツ語じゃないか、という事もわかったのだけど。ラテン語があって、ローマ字があって、旧約聖書があって(thou shalt not steal)、教会の権威は絶対だった。始めから聖書という文字言葉があったのだから当然のような気もするが。僕って英語の方言にも既にはまってる。
君:はまらばや。ところで、他方の私達のこ先祖様は、真名から仮名へと、あたふたとした平安時代があったのよね。いにしへの/せんだち/まな/かな/にて/うろたひ/はうごん/かしましき/こと/ありたるも/いとをかし。な/(わがこころ)ぬすみ/そ/吾が背。

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