大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

中世の飛騨方言のハ行

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別稿に、上田万年(帝国文学)によるP音考を 紹介しました。古代では、母はパパと呼ばれたのです。 さて、ハ行がハヒフヘホと呼ばれるようになったのは実は最近、 といっても江戸時代からですが、中世にはその中間の音・ファフィフゥフェフォと呼ばれていた事も 判っています。 日葡辞書(にっぽ、イエズス会編ポルトガル訳辞書)に記載されているのです。 同辞書は見出し語総数が 32,293 です。 fa 行のページ数から類推しますと一割強が 相当するようです。

一言で fa 行と言っても該当語約三千の莫大な情報ゆえ紙面が足りませんが、感激する言葉をひとつ ご紹介しましょう。不肖佐七辞書にありますが
はくらん > 日射病
です。同辞書の記載は、Facuran 、病気のコレラ、ただし 正しい本来の語は Quacuran (霍乱)、とあります。 従って、安土桃山時代には、飛騨方言・はくらん、は ファクランと発音されていたに違いありません。 また現代語飛騨方言では日射病の意味ですが、もともとは 夏の病の代表、激しい下痢で死の病ともいうべきコレラを 意味していたのです。意識は朦朧として頭がかく乱される 所からきたという語源説が最も説得性がありましょう。

さて佐七節ですが、その時代に飛騨でもコレラが大流行した のでしょうか。おそらくそのような事実は無いでしょう。 つまりは、当時の都・つまり畿内で恐れられていたこの 不治の病の病名だけが飛騨に伝播し、それがいつのまにか 飛騨では日射病の意味で用いられるようになったのでしょうね。

はくらん、この言葉ひとつの謎解きがいとも簡単にできてしまう日葡辞書 は確かに高価な辞書ではありますが、方言をあれこれ調べる のに必須の情報源といえましょう。 私にとってその価値は図り知れません。

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