しみる、は同音異義語ですね。
ひとつは回転寿司で醤油が佐七のネクタイに染みる、とほほ。
もうひとつは飛騨方言の言い回し、凍てつく・底冷えするという意味で、凍みる。
前者は古語・染む(自動マ四)、後者は古語・凍む(自マ上二)から派生したことばでしょう。
今、日葡辞書をみますと、染む Ximu 染み Ximi が記載されていました。
日葡辞書はイエズス会が編纂した安土時代の日本の共通語です。
ここで途端に問題になってくるのが、上一段活用と上二段活用の
関係ですね。どういうことかといいますと、終止形と連体形で、
上代・鎌倉・室町までは、しむる(マ上二段活用)と言っていたのが
室町から江戸前期の間に、しみる(マ上一段活用)に変化したのですが、
飛騨方言ではいったい何時の時代から、しむる、をやめて、しみる、
と言い出したのかな、という命題です。
いくら田舎の飛騨でも何日か歩けば京都にも鎌倉にも行けるのだから
都とあまり差はなかったのだろうと考えれば、古語辞典の
巻末資料の通りに室町から江戸前期の間に、しみる(上一段活用)と
いいだしたのでしょう。
いや意外にも江戸時代まで上二段活用が続き、明治時代の文明開化で
突然に上一段活用になって現代に至った可能性だってあります。
もっとも飛騨方言の歴史は常に外からの言葉の流入だった事を考えますと、
論理を裏返して室町以前に飛騨方言で上一段活用であった可能性、
つまり飛騨で言葉が発明されて都へ伝わった可能性はゼロですね。
つまりは飛騨方言は
こりゃあまあ今夜もしむぞ。(奈良時代)
こりゃあまあ今夜もしむるぞ。(鎌倉時代)
こりゃあまあ今夜もしみるぞ。(江戸時代)
といっていた事だけは間違いありません。
結論ですが、鎌倉から江戸までが佐七にゃあ謎なんやさ。困ったこっちゃえな。
参考資料・しんばれ
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