別稿・ラ行動詞しみるの上二段活用から上一段活用への変化
に飛騨方言においては、
古語・凍む(自マ上二)終止形が、しむ(奈良時代)(自マ上二)>しむる(鎌倉時代)(自マ上二)>しみる(江戸時代)(自マ上一)、
と変化したのであろう、という事を記載しました。
ところが、これがまた問題で。昨晩に同稿をアップロードしてから
ずうっと悩んでいます。
なぜかと言いますと、そもそも方言ができるというか、言葉が時代と
ともに変化してしまう理屈というのは、言いにくい言葉が言い易い言葉に変化
してしまう、あるいは言葉を詰めても意味が通ずるのであれば結局は
短い言い方が主流になる、という事があるからでしょう。
となれば、しむ、という二拍動詞が、しむる、という
三拍動詞に化けてしまった事が説明できなくなってしまいます。
忌む、という動詞を考えてみてください。竹取物語に
出てきますので日本最古の動詞でしょう。現代語でも忌む、です。
忌むる・忌みる、と話されていた時代はないでしょう。
しむる(鎌倉時代)>しみる(江戸時代)の変化も上記の原則に
反します。どちらの言葉が言い易いのか、おひまな方は百回
唱えてみなさいましな。しむる、のほうが言い易いに
決まっています。何故、わざわざ言いにくい言葉に変化したので
しょうか。上一段活用(しみる)のほうが上二段活用(しむる)より
活用が簡単だから、などという理由で言葉の変化がおきたのでしょうか、まさかね。
考えますにどうもこのような状態を表す動詞というものは
連用形、つまり名詞概念というものが飛騨人にあって
これが上代から中世にかけて言葉を変化させた
原動力のような気がします。つまりは、凍み、という名詞が
日常的に使われれば、自ずから、動詞・しみる、が発生してくる
のでは、という事です。例えば、
おお冷える、この凍みは。
今朝の凍みはひどかった。
凍み仕事、冷たい中でのつらい仕事
今日はのくといで楽や。凍みはいややなあ。
このように名詞・凍み、が成立しますと、当然ながら
その動詞形は凍みる、になりましょう。
なんだかこじつけのような感じもするのですが、
それはそのいつもの佐七節という事で、しゃみしゃっきり。
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