大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 近世

江戸時代の飛騨方言・でかい(3)

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私:今まで「でかい」について書いてきたが、先ほどは更に発見があった。簡単にお浚いすると、飛騨方言では「いかし」に接頭語をつけて「どいかし」を経て「でかい」が生まれた。江戸時代の飛騨は天領、飛州郡代・長谷川忠崇がこの言葉を江戸へ紹介、これが江戸でバカ受け、明和年間に全国に広まり、一つの飛騨方言の言葉が全国制覇をなし遂げた。
君:語誌の裏付けがあるのよね。飛州志が享保13年(1728年)、柳多留5が明和7年(1770年)。
私:先ほど、再びビッグな発見があった。皇都午睡 : 三編
君:明和16年.10月?
私:柳多留の9年後、1779年だ。
君:西沢一鳳 著・皇都午睡とは?
私:にしざわいっぽう・みやこのひるね、と読む。江戸見聞録。江戸や道中諸国の文化風俗を京・大阪と比べて論じたもの。京都語「でかい」を記載。更に語気を強めて「でっかい」ともいう。大坂は「どえらい」の記載もある。
君:なるほど、享保年間に飛騨で「でかい」、数十年して江戸で「でかい」、同じく明和年間というか柳多留の九年後に京都でも「でかい」というわけね。
私:その通り。江戸時代と言えば、将軍のおひざ元に江戸語があり、天皇のおひざ元に上方(かみがた)語があった。江戸時代はつまりは二つの標準語があった時代だ。「東西対立」の方言学用語に現れる如く、音韻、特にアクセント、のように両者は全く相いれない点が多々あるが、実は「でかい」という言葉は江戸から京都へ数年で、つまりはあっという間に伝わったという事がわかる。多分、方言学の研究者が誰も気づいていない、本邦初公開の情報であると確信している。
君:なるほどね。SNS拡散と言えば現代的な課題だけれど、実は江戸時代においてすら、数年であっという間に東海道を総なめにするほどの伝搬スピードの「でかい」という言葉があったという事ね。
私:宿場から宿場へというよりは江戸と京都は人がテクテク歩いて14日だから、江戸から京都へと、つまりは言葉が直接的に運ばれた、という事ではなかろうか。「でかい」は当時、日本人の心を捕らえた実にナウな言葉だったという訳だ。
君:多分そうよね。「でかい」が一旦、京都・大坂に広まれば、これまた西日本一帯にあっという間に広まったのでしょうね。
私:「でかい」は江戸語としての記載も、上方語としての記載もある。ただし江戸から京都へ伝わった言葉、これだけは百パーセント間違いない。享保年間に飛騨と京都との接点は無い。飛州郡代・長谷川忠崇が、飛騨には「でかい(=いかし)」という面白い言葉がある、と記載している。これがすべての始まり。つまり、享保年間から明和年間にかけての当時より以前は江戸でも上方でも「おおきい」という意味で「いかし」と言っていた。「でかい」が江戸の標準語、続いて上方の標準語になるや、「いかし」は日本全体で死語となった。
君:ところで、なんだか怪しいわ。あなた、皇都午睡などという古文書については、つい先ほどまで知らなかったでしょ。
私:おっと、ばれてしまったか。
君:私は貴方の事をよく知っている。あなたは理系、あなたは古典文学音痴。なにか資料を手に入れたのね。
私:お見通しだね。町田勇編「近世上方語辞典」東京堂出版を手に入れた。そこに書いてある。
君:なるほどね。これで近世語の研究ツールがそろったわね。
私:うん。日葡辞書(安土桃山の畿内方言)、講談社「江戸語大辞典」と東京堂出版「近世上方語辞典」、そして近代語・つまりは明治初期が、ちくま学芸文庫「言海」復刻版、それに角川古語大辞典もあるし、盤石体制だ。How much money has Sashichi spent on his research interest? He cannot count. He is, however, very happy.
君:He is an idiot! He is a bookworm devouring dictionaries. Congratulations on his victorious accomplishment, though. He sticked to the end. ほほほ

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