ここ数ヶ月、文法の原稿ばかり書いていましたので、ひょっとしたら佐七という人間は、
かたい人間なのかとあらぬ勘違いをされては困りますので、随筆という事で少し
柔らかい原稿を書きましょう。
以前から、おかしい、おかしい、と疑問に思っていた事がありました。か行変格動詞の仮定形に
二種類あるのです。こっちへくればよい、という意味で、
そのいち、こっちへこやええ。 = 未然形・こ+接続詞・や
そのに、こっちへくりゃええ。 = 仮定形・くれば、が訛ったもの
の両方が用いられます。別稿にある通りです。
今ふと気づいた事ですが、くりゃ、というのはおそらく、連母音融合で、もとの言葉は、くりや、だったのでしょう。
そうなると、途端に結論が見えてしまいます。
つまりは、上記のそのに、の言い方は
くれば > くれや > くりや > くりゃ
というように言い回しが変化した結果うまれた飛騨方言と考えざるを得ません。
さて、上記のそのいち、の説明は簡単です。古語の文法がそっくりそのまま、現代の飛騨方言になっているのです。
古語の接続助詞・ば、が、飛騨方言接続助詞・や、に置換されただけなのですから、
こば > こや
何の事はない、一発変換です。
ここまで書いてきますと、二つ以上の結論が導き出せます。
ひとつには、こや、という言い回しのほうが、
くりゃ、という言い回しより古い言い回しという事です。
古語辞典にあります文法釈には未然形+ば、で仮定の意味で用いられたのは奈良時代から江戸時代後期まで、
となっています。くれば、という共通語の言い回しは江戸時代後期以降に生まれたという事になります。
従って、くりゃ、という飛騨方言の仮定形が発生したのも江戸時代後期以降、つまりは近代という事になります。
もうひとつの結論ですが、とにかく飛騨人という人種は何でもかんでも、や、をくっつけて仮定形にしたがるという事です。
古くには未然形+ば、が仮定形であった頃、飛騨人は未然形+や、を発明して自分たちの仮定形としました。
江戸時代後期以降に仮定形〜れば、ができるや否や、これにも、や、をくっつけて、仮定形〜りゃ、という自分たちの仮定形
を発明しました。
そして両方の仮定形の使い方をマスターしたのです。
ところで何でもかんでも、や、が好きな飛騨人ですので、落ちに
ビートルズがやってきた。ヤー、ヤー、ヤー
飛騨の佐七がやってきた。ヤー、ヤー、ヤー
これって当サイトのビートルズコーナーをご訪問くださったビートルズ世代の方には、
少し笑っていただけると思うんやけど。
ところがさて、仮定形〜りゃ、という自分たちの仮定形を発明した飛騨人は少し悩みました。
四段動詞でどうしても意味の混乱が生ずるのです。末語が"う"の動詞です。
くえや(食う)、すえや(吸う)、なんて話そうものなら、飲めや歌えや、じゃあるまいし、命令形に
なっちゃうじゃないですか。だから、末語が"う"の四段動詞は、そのまま未然形+や、で行こう、
仮定形〜れば、は都の人たちのまねをしないで使わないでおこう、という事にしたのです。
もうひとつのイージーゴーイング現象が生じてしまいました。末語が"う"以外の四段動詞です。
それまで未然形+や、で古式ゆかしく仮定形としていたのが、仮定形〜れば、のほうがしゃべりやすい
という事で、未然形+や、の形式をやめてしまったのです。具体的に申しますと、有る、という動詞ですが、
古語では、あらば、です。ですから飛騨方言では、古くは、あらや、と言われていたのでしょう。
がしかし、江戸時代後期以降に仮定形〜れば、ができると、ありゃ、を発明し、あらや、と、ありゃ、では
ありゃ、の方がしゃべりやすいという事で、あらや、をやめてしまいました。
ところで、あらや、と、ありゃ、共にラ行の音があります。だから、これじゃ、あらや、は生き残れません。
話しやすさの点で、ありゃ、に負けてしまったのです。ところがまたどっこい、上一、下一、カ変、サ変、においては
未然形+や、の形式では、ラ行の音が無い、だから生き残れたのです。ちょっとした発見じゃないでしょうか。
結語です。"測定すりゃ"の年代測定ですが、江戸時代後期以降でしょう。
|