大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 古代 |
古代飛騨方言とは |
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私:古代の飛騨方言といっても取り留めのない話。それなりの定義が必要だと思うが、縄文飛騨語とか、弥生飛騨語、なんて言葉はどうだろう。 君:勝手にどうぞ。 私:私の村で良く出土されるのが縄文土器。子供の時、畑でみつけては喜んだ。弥生土器も発見されている。何らかの言語があったに違いないね。先ほどは minerva sciaentia さんの動画を発見。 君: pros or cons ? 私:いやあ、全面的に賛成。僕もなんとなく考えていたのだが、世の中には凄い人がいらっしゃるね。 君:医療動画もあるわ。お医者さん? 私:いやあ言語学者さんでしょ。学会では言いたい事も言えなくて匿名にて日本人に直接的に訴えかけたい、という彼の気持ちが伝わってくる。実は・・ 君:実は? 私:大野本も小泉本も読んだが、どうもしっくり来なくてね。この動画で今夜は頭がすっきりしている。 君:いいから結論を言って。 私:確かな事だけをお伝えしよう。東大寺諷誦文稿に飛騨方言は訳の分からない言葉だ、と記載されているのだから、つまりは縄文・奈良は言うに及ばず、白鳳・奈良あたりまで飛騨では我々現代人が知る由も無い失われた言語・未知の言語を話していたに違いない。 君:文法、語彙その他、すべてね。 私:そう。若しかしてアイヌ語族。大和朝廷の支配が飛騨に及んで古代の飛騨語は消滅したのだろうと考えると頭がすっきりという事だ。 君:古代は飛騨という小国だったのでは、という意味ね。 私:その通り。更に日本書紀に飛騨の両面宿儺の記載があるから、飛騨にも支配者がいたのでは、と考えるのが自然だよね。それともうひとつ。地名に古代の音韻が残る、と言うのは有名な話。例えば渓流名としての 「沢」と「谷」の言語境界に関する考察・石月升。興味が湧いて飛騨の全地名を調べた事がある。ここ 君:飛騨では圧倒的に「谷」の地名が多いのね。 私:石月論文と照らし合わすと、飛騨は長野や美濃と明らかに画するひとつの国だった、という事が丸わかり。 君:古代の日本民族は文字を持たなかったのは残念。本日は文字に裏付けられた上代の飛騨方言の考察という訳ね。悩む事はないわ。記紀や万葉集という膨大な資料があるのだから、論より証拠、東大寺諷誦文稿をもって飛騨方言の歴史の始まりとすればいいのよ。ほほほ |
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