ワ行動詞とラ行動詞は共に連用形では促音便に
なりますから、例えば、あって、といっても、
会って・有って、果たしてどちらの意味になるのか、
一瞬、迷う事もありましょう。
これにまつわる筆者の子供の頃の思い出話を。
女房詞か?飛騨方言・おもる
の通りですが、飛騨方言では、おごる・奢る、を、
おもる・お盛る、というのです。
従って、連用形促音便・おもって、といっても、
思って・お盛って、の二つの同音異義語が生じます。
そこで、言葉遊びですが、おいしいあんこ餅がひとつ、
これを一騎にひと呑みで食べようとする誰かさんの前を
彼の友が通りかかったとします。
どうや、おいしそうなあんこ餅やろ。
おめにも分けてやろかなあ。
そしゃおもってやるさあ。
と言ってパクッとひと呑み、実は奢らないのです。
そしてその誰かさんは続けて曰く、
おりゃ、お盛る事にせる、なんていわなんだぞ。
おめにも分けてやろかなあって思う事にしたんやさ。
ただ思っただけやさ。
忘れもしません、傍らでこの会話を聞いていた
ませがきの佐七は、でもこのような言葉遊びで
人をたぶらかす事は前にも後にもしませんでした。
私がその時に思った事、それは実は、
(それを言うなら、おごってやるさあ、っていわにゃ。
おもって、なんて言うわりの本心はわかっとるんやぞ。)
以上が前置きです。
少年の私は共通語の使い方を知らぬ友を侮蔑の目で
見ていたのでしょう。
昨日でしたね、おもる、と言う言葉を
あれこれ調べていて、エッ、おごるが訛って、おもる、
になった訳ではないと言う事か。
知恵が足りないのは私自身である事をこの歳になって知らされたのです。
結論ですが、無邪気に方言で人をたぶらかしていた彼が
私の上手でした。
つまりは晴れて、ザ・飛騨弁フォーラム記事入りです。
純飛騨方言だったのですから。
だから私も、この年になってですが、帰省したら、
この方言遊びで思いっきりまわりを
たぶらかしてみる事にせるぞ。
おまけ
以上は実は四十年以上も前のある日の飛騨方言事件だったのです。
でも、佐七は昨日の事のように覚えているのです。
つまりは、当時の佐七も子供、あのあんこ餅が実は食いたかった。
食い物の恨みは恐ろしい。しゃみしゃっきり。
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