大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 方言学

そもそも方言意識とは

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私:今夜は「方言意識」という学術語について。三省堂明解法方言学辞典には、方言に対して人が持つ意識の事、と定義が記載され、一頁に渡り詳述されている。でももう少し深く掘り下げて考えてみるべきだ、という事に気づいた。また方言意識にも下層分類があり多面性がある、という事にも気づいた。慌てて手元の成書、ネット検索などやったが、ところがどこにも書かれていない。
君:じゃあ、あなたの思い付きとやらを早速にお披露目してね。
私:まずは方言文学とか、あるいは方言キャッチコピーなどという言葉もあるが、ある日本語を、これは方言である、と認識する事、これが方言意識のスタート地点。
君:ふむふむ。
私:でも、それが正しい場合もあるし、実は間違っている場合もある。このあたりが成書はじめ定義されていないので、これは僕自身が定義を作り出して世に問うしかない。だから方言意識は、まずは大きく二つに分かれるんだ。正しかろうが間違っていようが方言と意識している事には違いないので、前者を★正解の方言意識、後者を★不正解の方言意識と名付けたい。正しい場合が狭義の方言意識であり間違っている場合は実は方言意識では無い、という意味ではない。
君:実例で示してね。
私:ユーチューブなどを閲覧するが、「けつまずく」は飛騨方言です、と、ご自身の方言意識を紹介するユーチューバさんがいた。「けつまずく」は国語辞典にあるので、そもそもが方言ではない。「つまずく」も共通語だね。これに「蹴る」連用形が付いた複合動詞が「けつまずく」。「けつまずく」が飛騨方言である、と勘違いするのは国語力不足、つまりは不正解の方言意識というわけだ。でも理由があるはず。察するに「けつ」という二音韻が身体部分「おしり」の卑語と同じ音韻である事から、飛騨方言は野卑な方言なので従って「けつまずく」は飛騨方言、という誤まれる回帰とでもいうべき方言意識が働いた結果なんだろうね。「てきない」「はんちくたい」も飛騨方言として紹介しておられるが、こちらは方言学的に正解なので正解の方言意識という事になる。
君:なるほど、方言意識の下層分類ね。多面性とは?
私:ある言葉に対して、例えば飛騨以外の聞き手が感ずる方言意識なのか、飛騨の出身者が感ずる方言意識なのかで、話はガラリと変わってくると思う。これもゴッチャに論じられている文章が散見されるが、分けるべきだと思う。狭義の意味では地方の出身者が出身地の方言に対して感ずる方言意識の事を感情面から記述する文章が多いようなので、これこそ★「部内者の方言意識」と定義してもいいだろうね。従って例えば飛騨の出身者以外の人が飛騨方言に対していだく印象などは★「部外者からみた方言意識」という事なのだろう。広く日本人が特定の方言に対して抱く意識は★「広義の方言意識」とでも呼べばいいのかもしれないね。「部内者の方言意識」の同義語として★「狭義の方言意識」なる言葉が定義されてもいいのかもしれない。女子の方言が「かわいい」と思われる理由・・これについてはネット情報が実に多い。部外者から見た方言意識、広義の方言意識の情報が多い。ところが、部内者が発信する情報もある。方言ユーチューバなる人々の大半がそうだ。部内者と部外者の感ずるところは概ね一致するものの、そうでない事もあるね。
君:ほほほ、多面性とはそれだけじゃないでしょ。
私:その通り。いよいよ心理学のお出ましだ。方言意識とは畢竟(ひっきょう)、感情である。従って基本的には喜怒哀楽だが、複雑な心理を少ない言葉で伝えるのが方言のだいご味であり、・・方言意識には必ず修辞がつかなければ方言意識にはなりえない・・この事に皆が気が付くべきだ。一般的には★「かわいらしいイメージの」方言意識や★「ジインと来る」方言意識、例えばかつて郵便局のポスターにあった野口英世の母が息子にあてた手紙、が話題として取り上げられる事が多い。或いは同音異義語でとんでもない意味の取り違えや、意味不明の方言を勝手に解釈して現実に問題が発生してしまった場合など★「困ったちゃん系」の方言意識の記事も多いね。「困ったちゃん系」方言意識は定義からして「部外者からみた方言意識」という事になる。ところで心理学の基本は快・不快。従ってかわいい方言やジインとくる言葉は★「快の方言意識」。困ったちゃん系の感情は★「不快の方言意識」。
君:まだまだありそうね。
私:ああ、勿論ある。言葉の多面性、実は無尽蔵にあるんだ。例えば★「個人としての方言意識」と★「集団としての方言意識」というものがあるだろうね。僕個人としては「けつまずく」は飛騨方言方言とは思わないので、僕にとって「けつまずく」は個人としての方言意識でもなんでもなく、単に「気付かない共通語」であるものの、「てきない」「はんちくたい」は僕にとっても「正解の方言意識」。京言葉はなんとなく上品な感じ、というのは京都人を含めて日本人という「集団としての方言意識」ではないかと思う。
君:たった漢字四個の言葉だけど、多面性があり味わい深いわね。
私:もうひとつ、先ほどのネット検索で気付いた事がある。
君:とは。
私:「方言」「意識」「心理」等々をキーワードに検索すると、まとまった情報が得られるが、女子大生で四年生のお方の卒論テーマ pdf が幾つもあって、読ませていただいた。つまり、論文指導者と僕、両者の思考プロセスが近似しているらしい事も発見できた。
君:そういうのを★衒学(げんがく)的な「方言意識論」と言うのよ。
私:卒論テーマというものに若干の興味があるんだよ。医学部には卒論が無い。科目試験にすべて合格する事が卒業の条件。卒業時に医師国家試験を受験する。これは資格試験であり、選抜試験ではないので楽勝。大学院には試験すらない。論文を書き、投稿し、受理され、教授に認められれば学位が授与される。英米の一流紙に出版されないと不可。24歳で卒業、学位は36歳だった。忍耐が要る。文博はもっと忍耐が要るだろう。
君:誓子「学問のさびしさに堪へ炭をつぐ」。四月だというのにこの数日、寒いわね。

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