大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 方言学

方言意識

戻る

人は同郷の間では★方言で話し、公の場では★標準語を話し、同郷で無い人の間でしかも親密な間柄の場合では標準語を捨てて★共通語で話すものです。つまりは人は方言、標準語、共通語の三者を意識的に、或いは時として無意識に使い分けているのです。

方言を話している意識がない場合、つまりはてっきり標準語、共通語だと思い込んで方言を話してしまう事を「気づかない方言」と言います。人は、この「気づかない方言」に気づいてしまった瞬間に、方言というものに愛着を覚えて強烈に方言学に興味を抱くものなのです。この私が実はそうで、「してみえる」「おぼわる」等々が中部地方の方言である事を知った時はいささかショックを通り越して、感激してしまいました。

逆に使い分けている事がわかっていてわざと方言を使う場合、つまりは方言を意識している事を「方言意識」と言います。実は方言意識で話しをする事が若者で流行っている令和の時代です。方言萌え、方言コスプレ、新方言、ネオ方言、等々、新しい学術語が生まれています。国語の側面という事ですね。初等教育に於いては標準語の教育だけが国語教育ではない、方言のクッション(俵 万智)、というような古典的方言学礼賛の時代になっているようです。高等教育に於いてすら女学生に人気の学問かと思います。LINEと共に育った人達、SNSの影響が大きいのでしょう。
  • そもそも方言意識とは 筆者なりの方言意識の定義、下位分類の考察です。
  • 「方言意識」 vs 「気づかない方言」・・「こすい」形ク、つまりは、狡猾である、という意味の言葉を方言ととらえるか、というのは微妙な問題です。古語であり、一昔前までの標準語・共通語だった言葉を方言ととらえるのか、という命題です。「こすい」は狭義では共通語であり、広義では方言という事ですね。ただし狭義で共通語と考えた時点でアウト、つまりは方言意識が働いてしまっているのです。つまりは狭義であれ広義であれ、方言意識が働いている以上、「こすい」は方言という結論になるのでしょう。
  • 西濃と飛騨との言葉の違い、方言意識の観点から
  • やってまった・・ギア方言としては人気度が高い言葉だと思いますが、やってしまった、と言わずにわざと、やってまった、と言う心の働きが方言意識です。
  • みえる・・みえる・自ラ下一、とは名古屋方言や飛騨方言の言いまわしで、していらっしゃる、 という意味の尊敬表現です。 みえる、の語源は、古語動詞・みゆ・自ヤ下二、です。 ただし、例えば、どなたもみえません、と言えば、日本人なら誰でも使う言葉、と言えましょう。 語・みる、の誤用であろうかと勘違いする所に間違った方言意識が 生ずるのです。言葉は誤用が一般的になると正用が間違い視されて使いづらくなるものです。嚥下(えんげ)ですが、元々は「えんか」だそうで。恩師の神経学教授は常にわざと「えんか」を使っていらっしゃった事が懐かしく思い出されます。
  • いのく・いのかす(動く・動かす)・・いのく・いのかす、と言えば飛騨方言に決まっていますが、現代語では「のく退」自カ五(自動詞カ行五段)がありますので、「いのく」の代わりに「のく」を用いれば方言意識は生まれません。
  • 代表的なギア方言「〜してみえる」ギア方言のなかでぶっちぎり一位の気づかない方言が「〜してみえる」でしょう。ところで「気づかない方言」の反対語は「方言意識」です。つまりは言い方を変えると「〜してみえる」は「方言意識」の無い言葉としてぶっちぎり一位という事になります。
  • はやばやと・気づかないアクセント・・気づかない方言の中にはいろんな意味があります。気づかない語彙、気づかない文法、そして気づかないアクセント。アクセントが多少、異なっても会話はきちんと成り立ちますので、「気づかない方言」の中でも「気づかないアクセント」が最たるものでしょう。声優を目指す地方出身者の方々が苦労なさる点です。従って、方言意識のアクセントが出来れば方言俳優・方言声優としては一人前、という事になるのです。
  • 南北対立・・方言対立としては東京対関西という東西対立が有名ですが、表日本と裏日本という対立、つまりは南北対立もあるのです。南北対立の特徴は気候を表す言葉です。のりつけほーせ、ゆきやけ(スキーの時の雪焼けではなく、しもやけの意味)、などです。表日本には東京が含まれますので、裏日本で使われる気候を表す言葉は全て方言、つまりはそれを話す事は方言意識の表れ、という事になります。若し、ゆきやけ、が共通語で無い事に気づかないでしもやけの意味でゆきやけと言えば、それは気づかない方言という事になります。
  • ページ先頭に戻る