大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

異形態

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私:方言学を少し離れて、今日は異形態 allomorph のお話を。数日前には異音 allophoneについてお書きした。形態素についても。
君:まずは定義ね。
私:形態素の定義は良しとして、実際に読み書き、或いは話し聞かれる音韻を形態という。形態素ひとつにひとつの形態とは限らない。ひとつの形態素に複数の形態が存在する時に、それらの形態を異形態と呼ぶ。具体的には、一本、二本、三本・・、という言葉に使われる数詞、本、これはひとつの形態素だが、その読みは、ほん・ぽん・ぼん、の三種類が存在する。本が形態素で、ほん・ぽん・ぼん、が異形態。一つの場合は、ほ・ぼ、が使われる事は無く、二つの場合は、ぽ・ぼ、が使われる事は無い。三つの場合は、ほ・ぽ、が使われる事は無い。このような現象を異形態の相補分布という。
君:「ん」などが音素で、「ほ・ぽ・ぼ」が異音というわけね。
私:そう、つまりはひとつの形態素が複数の異音を含む形態を呈する場合を異形態と呼ぶ。諸言語に於いて異形態は必ず相補分布する。要するに、形態素に異音が存在する場合には異形態になる。集合論的には、異音と異形態は一対一で対応する同一の集合という事。異形態の集合は異音の集合を内包するとも言える。
君:つまり相補分布の現象は言語学の課題で、認知脳科学の問題ね。コンピュータによる言語解析とも言えるわね。数学の集合論に置き換える事も可能。異形態に何を選ぶかは、これは各国語の文法・言葉の文化の問題ね。
私:うん。特に数詞がなかなか複雑なんてのは日本語の特質とか言われているね。保育園の孫たちが夢中でやっているが、苦戦しているようだ。ところで日本語の用言には活用という文法があり、音素的には終止形はウ段、然もア行からワ行まで相補分布しているなんてのは、実にチャーミングというか、エレガントというか、素敵な言葉だね。
君:あなただって子供の時は苦戦していたのよ。それに印欧語だってキチンと相補分布しているのだから、日本語の自画自賛は世界の皆様に失礼よ。 ほほほ

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