大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
方言意識3 |
戻る |
私:国民番組・チコちゃんに叱られる、第200回が先ほど放映された。何故、関西人はどこでも関西弁を話すのか、という疑問に対しての答えは、先生が関西弁だから。解答者は同志社大学教授・中井精一先生。 君:何でもかんでも話のネタにして。という事は今日はネタ切れという事かしら。 私:そう言われても仕方ない。と言いたいところだが、僕の考えは少し違う。より学問的に説明すると、これは方言意識という心理学上の命題なんだ。これについては既述、例えば方言意識、方言意識2。言語意識というものは三分類できる。関西型、東北型、沖縄型。地元でも他所でも方言を話すのが関西型。別の分類としては★方言開示型、どの場面でも方言使用率が高い、関西人に多い、★方言抑制型、どの場面でも方言使用率が低い、那覇に多い、★使い分け型、話し相手が同郷人であるかないかではっきり使い分けをする型、東北に多い、★中間型、一貫して平均的な位置にある。 君:つまりは関西人は東北型、沖縄型でもない心理学的思考の基に方言開示型の思考行動パターンがあるという事ね。 私:もっと細かに関西人の心理を分析すると、関西方言を話す事に引け目を感じていない、関西方言も立派な日本語であると感じている、日本の都は元々は奈良・京都だったので関西方言こそ日本語の本家、近畿地方の人口は二千万人を超え関東圏に次ぐのでそれ自体が立派な言語圏、つまりは大半の人が関西に生まれ、関西で教育を受け、関西で人生を終えるお方で東京語を話す機会がほとんどなく、そもそもが東京語を習得する機会が無い。 君:一番の最後の説明がキモというわけね。 私:正にその通り。そしてここで出てくるのが初等教育の指導要領。子供に共通語を押し付けるような国語教育はしないように、というのが文科省のお考え。つまりは必要に応じて共通語が話せるのであれば方言での日本語習得も可とする、という事。つまりはアクセント教育はしなくてよい、と言うお考え。関西の学校では先生が畿内アクセントで授業をする。 君:でも飛騨でも先生は飛騨方言で授業をするわよね。 私:そりゃそうさ。明治政府のように方言札政策まで行わなくても、日本人どうしが多少の方言を交えて自由に会話ができる時代。アクセントに興味を持つなら人文系或いは言語を扱う情報工学系の大学でどうぞ、という訳だ。 君:そういうあなたは? 私:飛騨は純東京式アクセントだから、普通に話せば東京語になるのだろうと思い込んでいた昨日までの僕。 君:細かい点に注意すると飛騨のアクセントは東京語のアクセントと完全に同じではないのね。 私:つまりは自分のアクセントが東京語のそれと同じと思い込んで話し続けて来た僕は東北型、沖縄型でもない関西型心理学的思考の基に方言開示型の思考行動パターンで言語活動を営んできたという事に気が付いた。つまりは長い人生を延々と、なんちゃって東京人です、を演じ続けて来た。その事に気づいた。これが今の僕。 君:という事は貴方の最新状況は何型? 私:つい先だってからむしろ東北型・沖縄型かつ使い分け型になっちゃったという事かな。 君:早い話が同郷の人としか安心して話せないというタイプよね。 私:おう、そうなんやさ。おりゃめっちゃ気が小さいタイプなんや。やっぱなぁ、飛騨人どうしぁ安気やなぁ。 君:なんやいな、左七君、その性格はちいさい頃とちっとも変っとらんながいな。ほほほ |
ページ先頭に戻る |