大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

ジャガイモ(2)

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私:昨日は飛騨方言にジャガイモの意味で10通りの表現「せんだいも、せんだいいも、ぜんだゆういも、せんだゆういも、こーぼーいも、しろいも、しんしも、しんしゅういも、なついも、にどいも」がある事をお示しした。今日は続き。
君:いまさら何を。
私:まあ、そうおっしゃらずに。延享寛延の飛騨代官・幸田善太夫高成が飛騨に広めたので、まず最初に出来た言葉が、ぜんだゆういも、だ。
君:あら、そうかしら。若しかして善太夫代官様が、これって新種の芋なんだよ、とおっしゃって、まず最初に、しんしゅいも、の言葉があって、続いては、しんしゅういも・しんしも、と言う言葉が順に生まれた可能性があるじゃないの。
私:いや、善太夫が当然ながら知っていた事と言えば、この芋は17世紀の初めにオランダ人がインドネシアのジャカルタから日本にもたらしたという事。彼は幕府の命により飛騨にこの芋を広めた。彼が飛騨の民に言った言葉はジャガタライモで決まりでしょ。蛇足ながら、全国に数百あるジャガイモの方言で一番に多いのがジャガタラの系統だ。詳細は省く。
君:なるほど、それはそうよね。
私:あまりにも素晴らしい植物ジャガイモ。だから、飛騨の民は彼に感謝するあまり、ジャガタライモではなく、まずは、ぜんだゆういも、と呼び始めたのじゃないかな。
君:確かにね。ところで、しんしゅいも、は全国共通方言なのよね。
私:その通り。群馬、埼玉、新潟、静岡、岐阜、大分。つまりは、新種芋というのは方言の孤立発生論で説明がつく。つまりは、一つはっきりしている事は、飛騨では、ぜんだゆういも、に続いて、しんしゅいも、が生まれた。ただし、全国各地で、しんしゅいも、が生まれた時代はバラバラ。中央で生まれた言葉が地方に伝搬したのではない。
君:それじゃあ、こーぼーいも、はどうかしら。
私:これは、善太夫芋の言葉のかなり後の時代だね。
君:どうして?
私:方言の解釈に欠かせないのが民俗学だ。全国津々浦々に弘法大師伝説がある。弘法大師様がジャガイモを飛騨に広めた史実は無い。弘法大師の芋伝説が生まれるには、民衆が幸田善太夫高成の事をすっかり忘れてしまった時代であろうから、江戸後期か近代語という事になると思う。
君:そうね、ところで、しろいも、はどうかしら。黒い芋だけれど割面が白いから白芋、という事ね。
私:多分ね。そうだとすれば、やはり、しろいも、は、ぜんだゆういも、の後に生まれた言葉だ。善太夫は割面が白い事を知っていたが、その反面で、民は収穫するまで白い事を知らなかった。くどい様だが、善太夫は民に、この芋はジャガタライモというんだよ、と教えたに違いない。但し、八坂書房の日本植物方言集成には、じょーろいも、しょーろいも、じょろいも、しょろいも、の紹介がある。つまりは白芋語源は一つの仮説にすぎない。
君:そうね。ところが、なついも・にどいも、この両者についてはどちらが先に生まれたのか、明白よね。
私:うん。なついも、が先だろう。夏に収穫するが、うまくいけば年に二回の収穫が出来るという事で農業技術が進み、にどいも、が生まれたのだろうね。ところで僕が抱える最大の謎というものがある。飛騨方言「せんだいも」の語源は善太夫芋で決まりだが、実は、せんだいも、は新潟(西頚城)と福島(石城)の方言でもある。何故だろう??不思議すぎる。
君:ジャガイモの方言で一つの本が欠けるわね。題名は「日本にやってきたジャガイモ、その後の名前の変遷」。ほほほ

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