大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 地名考 |
船津(ふなつ) |
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私:飛騨の人々にとっては深い心の痛手、空前の暖冬下での流葉スキー場での冬季国体(流葉国体)についてお書きした。この稿で出てきた地名「船津(ふなつ)」の事を少し、お書きしよう。 君:あら、地名なら何といっても「神岡」をまずは記載すべきよ。 私:確かにね。昔の社会科の教科書には「神岡鉱山」があったし、ノーベル賞が二つも出た究極のレガシー「カミオカンデ」は神岡の名前に由来するのだから。今や、世界の神岡と言ってもいいよね。 君:船津町と言えば、神岡の商店街の事だわよ。それもすっかり寂れてしまって。 私:おっ、早速に気になるご発言。今日のお話で商店街様に元気になっていただこう。用意した資料は平凡社日本歴史地名大系21(岐阜県)及び角川日本地名大辞典21(岐阜県)。 君:お話しなさる前から大よその検討はつくわ。歴史のある名前、という事よね。 私:正にその通り。鉱山や二つのノーベル賞で「神岡」という地名はあまりにも有名だが、神岡界隈でたとえ有名でなくても地元の人々なら誰でもよく知っている地名、寺社があるよね。 君:つまりあなたは古ければ古いほど価値がある、とおっしゃりたいのかしら。 私:いや、そんな事はないが、それでもこの二つの大辞典から神岡の歴史を学んで古い順に並べてみる事って面白そうだと思わないかい。 君:確かに。でも、簡潔にお願いね。 私:ははは、勿論だ。では、早速。 荒城郡・あらき・・・・律令時代 高原郷・たかはら・・・律令時代 大津神社・おおつ・・・延喜式 吉城郡・よしき・・・・鎌倉 小萱薬師堂・こかや・・室町 江馬氏・えま・・・・・室町 船津町・ふなつ・・・・室町 常連寺・じょうれんじ・室町 茂住銀山・もずみ・・・天正 和佐保銀山・わさぼ・・江戸 飛騨県・ひだけん・・・明治 高山県・たかやまけん・明治 筑摩県・ちくまけん・・明治 神岡・かみおか・・・・明治 君:なるほどね。「神岡」は日本史の観点からは近代史で生まれた町名というわけね。あのあたりは室町から江戸時代に至るまで船津町だったのね。 私:正にその通り。と言いたいところだが、実は間違い。町名ではなく、神岡村。然も、船津は「ちょう」ではなく、「まち」。「ふなつまち」と呼ぶ理由はたったひとつ。 君:ほほほ、江馬氏の城下町だからよね。 私:その通り。実は元々は「船渡・ふなと」、それがいつしか「船津・ふなつ」になった。地名の由来はどう。 君:高原川と山田川の合流地点だからよね。 私:そうだね。今は治水がきちんとできて立派な橋もあり、水害の心配は無いに等しいが、「砂山・すなやま」という小字(こあざ)がある位で、治水が常に大きな問題だった。 君:橋がひとつも無かったのでしょうね。 私:ああ、勿論。だから船渡。それと越中東街道と越中中街道。 君:高原川両岸に街道があって富山と繋がっていたのよね。 私:いや、それは少し言い換えたほうがいいね。江戸時代に富山藩は高原川左岸(中街道)を利用し、加賀藩は同右岸(東街道)を利用した。要は縄張り。飛越交易についてはまたの機会に。 君:明治に立て続けに県名が三つもで出来て、訳が分からないわ。 私:おいおい、明治の初めの飛騨のドタバタはそりゃもう、すごい事だったんだぜ。なんてったって梅村騒動だな。 君:江戸幕府崩壊、天領飛騨がなくなるのね。 私:そう。だからまずは飛騨県、いや高山県だ、という事で、なんと飛騨がひとつの県になった。だから僕は・・・ 君:ほほほ、高山の事を元県庁所在地と呼ぶ。 私:そうなんだよ。そのあたりは高山市観光課にしっかりと全国の皆様にアピールしていただかないと。 君:あなたがこのサイトで繰り返し情報発信なさったらいいわよ。そして、梅村速水様は悲劇の県知事様ね。 私:そうなんだ。獄死だからね。いい人だったんだがなぁ。 君:脱線ついでに筑摩県って何なの。 私:よくぞ聞いてくれた。高山県じゃあ小さすぎるという事で、信州松本と合わせて筑摩県になった。残念ながら、この時には松本に県庁所在地を奪われてしまった。 君:あらら、そんな事が。 私:ところが完成した新県庁舎がなんと放火で焼失。飛騨史略年表を参考までに。 君:まあ大変。 私:焦った明治政府は直ちに筑摩県を廃止して、松本を長野にくれてやった。そして飛騨は岐阜にもらわれた。 君:やれやれね。 私:下呂はまだいいよ。岐阜市に近いのだから。高山や神岡なんかたまったもんじゃないぜ。裏日本なのに東海地方なんだから。 君:それもそうね。神岡から富山市、金沢市はすぐそこだわ。岐阜市や名古屋市は気の遠くなるほど遠い町。 私:泣いたね。古い話。さて、明治の続きだ。1886に全国の地方行政区画の大合併化を行い、船津まち界隈を新しい村名に変更。 君:そこで突然に生まれたのが「神岡」という村名なのよね。それはないわよね。江馬一族の城下町で「ふなつまち」という由緒ある地名なのに。 私:当時、三井財閥が鉱山を次々と買い上げ、鉱山事業が本格化する。茂住も和佐保も関係ない、新しい鉱山名が少し気取った名前で神岡鉱山。だから村名も神岡村。地名の由来も歴史もあったもんじゃない。つまりは「なんちゃってカ・ミ・オ・カ」村はどうかな、という軽いノリ。 君:「船津村・ふなつむら」でも良かったのかしらね。 私:冗談じゃない、室町時代から「ふなつまち」だよ。となると「ふなつまちむら」、これっておかしいよね。絶対に。 君:確かに。 私:それに「ふなつまち」の人々が黙っちゃいなかった。大ブーイング。「神岡村」なんて名前は絶対にいやだと。 君:ほほほ、でも、結局は諦めてしまわれたのでしょ。明治政府が怖くて。 私:君は「ふなつまち」の人々の底力を知らないな。三年後、1889に「神岡村」は廃止され、「船津町まち」「阿曾市村」「袖川村」の三つに分裂、かくして「ふなつまち」の地名がたちまちに復活。イェーイ! 君:樅の木は残った(山本周五郎)ならぬ「ふなつまち」の地名は残った。やるじゃない。素敵だわ。 私:ただし、「ふなつまち」の意地は戦後にすぼむ。町村合併促進法の成立により、1950に上記の三つを再合併、今度は村ならぬ「神岡町」として町政スタート。このころは神岡鉱山が最盛期、町の人口が二万人に膨れ上がる。かくして「ふなつまち」の民はマイノリティー。「ふなつまち」の人々は「まあいっか、神岡町(ちょう)の名前ならば。」とお思いになったのだろう。それに商店街のお客様は皆様が神岡鉱山の人々だったしね。 君:いろいろあったのね。知らない事も多かったわ。ありがとう。 私:そろそろ今日の結論を出そう。神岡鉱山は閉山した。鉱夫さん達はいない。 君:町が寂れているわね。 私:ピンチをチャンスに。 君:えっ、どういう事。 私:「ふなつまち」の人々は昭和のマイノリティー時代を乗り越えて、今やご先祖様がたと同じくマジョリティーなんだ。イェーイ! 君:つまりは、今こそ町名を取り戻そうと。 私:その通り、フォエバー江馬一族の城下町たる「ふなつまち」。 君:カミオカンデはどうなるの。 私:その名前だけは残したほうがいいね。飛騨片麻岩というカチンカチンの岩をくり抜いた巨大地下空間・カミオカンデだが、ここにかんでくるのが船津花崗岩。 君:ほほほ、なるほど、「船津」の名前も「カミオカンデ」同様に、それはもう学術的なオーラがあるというわけね。然も「神岡」という地名とは比べ物にならない長い歴史があるのだし。あなたが船津の名前を愛する意味がよく分かったわ。 |
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