大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨の地名・荘川(しょうかわ)

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白川郷を良くご存じない方のために、上流が高山市荘川町で、 下流が大野郡白川村です。 流れる川は一本で、庄川です。 さて質問ですが、庄川(川の名前)と荘川(村の名前)ですが、 どちらが古いでしょうか。答えは庄川です。 もっと古くは白川とよばれていた川に庄園が出来て、 庄川となったのです。

そして、荘川、という地名ですが、 なんと明治になって突然に考え出された地名でした。 江戸時代までは白川郷と呼ばれていた地域ですが、 明治八年に二分される事になりました。 チャッカリと名前をもらったのは下流です。 つまり現在の白川村。 困ったのは上流の合併協議会でした。 以下の十八の村が構成員です。
    ムマヤ 六厩
    ミオゴ 三尾河
  テラカワド 寺河戸
   クロダニ 黒谷
   ソウノリ 惣則
   イッシキ 一色
   サルマル 猿丸
   アラブチ 新淵
   ノノマタ 野々俣
   ナカハタ 中畑
    マキド 牧戸
   ウシマル 牛丸
    イワゼ 岩瀬
   アカダニ 赤谷
    ナカノ 中野
  カイジョウ 海上
    オガミ 尾上 
マチヤノショウ 町屋之庄
いったいどうやったら新しい村の名前で皆の 心をひとつに出来るのでしょうか。 議論なさったのでしょうね。 あるいは若しや、早い者勝ちの論理で 下流の合併協議会がさっさと白川村を 名乗ってしまったのでしょうか。 真相は不明です。

とにもかくにも、十八の村の民をひとつにまとめるものは 渓谷を流れるただ一本の川・庄川。 ここで出された妙案が、庄川を文字って荘川。 今まで飛騨には無かった地名です。 どなたかが考え出したのです。合併協議会で動議が出るや、
(うおっーっ、という歓声の中、議長さんが)
荘川!!そりゃあ、ええながい!! やっぱ、庄川があってこその白川郷やし、 荘園があってこその白川郷なんじゃぞ。 ここぁひとつ、おりだちゃあ皆、おとなになって、 白川って村の名前ぁ下流の衆にくれてやらんがよ。 そしゃおりぃだちゃあ今日から荘川村やぞ。 荘川って漢字ぁ白川郷の歴史を刻んどる名前やさ!! そしゃそやぞ!!
という事だったのですよねえ。 すみません、以上の議長声明は佐七の勝手な想像ですが、 おそらくは満場一致で荘川村とお決めになったものと思います。

と言う事で、ほんとうに明治時代の荘川村の方々って 立派ですねえ、大人ですねえ。 下流もご自身がた上流も、ついこの間まで白川だったんですから。 大事な名前を譲って隣人にくれてやる、という善意は佐七には到底、 真似ができません。

さて、その荘園について、白川村の 通りですが藤原氏の荘園でした。さらにもう一つは、一山こえて 郡上の長滝寺 の荘園もあったようですね。

そして時は流れ現在の高山市荘川町といえば、高原別荘の町、桜の里、 つまりは今まさに名が体を現す荘川町。 それにしても明治の荘川村の合併協議会は偉いわあ、 佐七は脱帽です。
実は以上が前置きなんですよ。佐七らしいでしょ。 皆様、荘川をキーワードにネット検索してみてくださいな。 岐阜県高山市荘川町の情報のみです。 かつて荘園があった事を示す地名は、実は全国に 星の数ほどあるのです。 例えば、何々之荘以外に、 本庄、本荘、新庄、新荘、上庄、中庄、下庄、 北庄、南庄、庄内、庄田、庄野、庄原、本保、 新保、上保、下保、保内、保田、杣、杣田、杣川、 牧田、牧野、上牧、下牧、厨川、厨下、等々。 ところが全国広しといえども荘川はただひとつ。

荘川という地名がいかに独創的であるのか、 佐七がぞっこん惚れこんでしまっている理由を、 国民の皆様はもはやご理解されたでしょう。

また以上のご説明の繰り返しにはなりますが、 大野郡白川村だけが白川郷なのではありません。 白川村が弟ならば上流に荘川町という兄貴がいるのです。 そして結論、県外からの皆様へ、 今、盛んに世界遺産ともてはやされている村を見たからとて、 それは白川郷の半分を見た事にしかなりません。

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