飛騨方言の形容詞に、おぞい、があります。粗悪だ、という意味ではわらべ歌の歌詞にあり、別稿・ひなさまをご参考までに。
さて、飛騨方言には、おぞくたい、という形容詞もあります。意味ですが、おぞい、と全く同じです。おぞい、が少し訛って、おぞくたい、と言われるようになったのでしょうか。いや、それは違うぞ、そしゃ(=それでは)佐七節のはじまりやさ。
方言辞典、あるいはネット情報によれば、おぞい、は全国各地の方言であり、古語・おぞし、が語源である事は疑うべくもありません。さて、おぞくたい、も方言辞典などによれば実は全国各地の方言のようです。どの地方に残る言葉か、という事は語源を考える上では本質的な事ではありません。要は、おぞくたい、も畢竟、古語の言い回しだろうから考え詰めれば語源がみつかるはずだ、と自分自身を励ます、これが大事な点なんですよ。
実はゆうべから考え続けていました。結論ですが、飛騨及び全国の方言である所の、おぞい・おぞくたい、の語源は共に古語の、おぞし・おぞきことたり、でしょう。道理で同じ意味であるし、ちょいと訛っただけの話でもなさそうだ、と思いませんか。そして応用問題ですが、悔しい、という意味の飛騨方言形容詞・はんちくたい、ですが、語源は、なからはんぢやくなり・なまはんじゃくな、でしょうね。つまりは、佐七の発想はいつも同じ、なけなしの知識なのでした。しゃみしゃっきり。
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