大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨方言・かかれ、の語源に関する一考察(3)

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別稿に飛騨方言・かかれの語源について 近隣県の同意語からの推察下一段動詞欠けるの命令形 を記載しています。 本稿ではまた別の語源説を記載し、ひとつの見方をお示しします。

さて、かかれ、という音でピンとくるのは、やはり、かく+あれ、ですね。 共通語でも例えば、斯かるほどに、斯かれば、斯かれど、等々の 言い回しがあり、古語辞典の文例は幾つもあります。 奈良時代からの日本語である、とひとこと書き足せば十分です。

ただし、飛騨方言の、かかれ、は、斯くあれ、と全く正反対の意味です。 賢明な読者にはお伝えしなくても良い事なのですがあえて、 飛騨方言・かかれ、の意味は、斯くあらざるべき事、です。 例えば、かかれにやりゃあええ、とは、キチンと正しくしなくてもいい、 大雑把にやってだいたいあっていれば良い、という意味です。

さて、共通語で風呂の湯加減はなかなかいい加減だ、といえばどんな意味でしょう。 のくとまる(=あったまる、飛騨方言)のに丁度いい温度であるという意味である 事は書かずもがな、つまりは、文字が意味とあっています。一方、 佐七のやりかたぁええかげんや、といえばどんな意味でしょう。 佐七の方法は、ずさんで、つまり悪い加減だ、という意味です。 この文章では、ええかげん、の意味は実は、悪い加減、です。うふふ。

要は逆説的な言い方です。ほめ殺しです。いやみな言い方、という事です。 やはり話法としては重要ですね。 例えば、娘がたまたま机に向かっている。いやあ勉強しているなあ、えらいぞう、 と父親は娘に言いますが、その本心はやっと少しは勉強する気持ちになったか、という 事ですね。つまりはこれが毎日の言葉になってしまうと、机に向かう、という事は、 実は、たまたまチョイと机に向かっただけ実は勉強していない、という意味で 使われるようになるのです。

実は以上が前置きです。いよいよ佐七節です。 多分ですが、元々は、
いやあっ"カカレ"にやってござる
(=いやはや、斯くあるべき様にやっていらっしゃる)
というような用法で、つまり、かかれと言う言葉は良い意味で用いられていたのでしょう。 それがいつのまにか次第に、馬鹿丁寧にやっていらっしゃる、というほめ殺し言葉に なってしまった瞬間に、良い言葉・かかれ、は、馬鹿丁寧にしなくてもよいのに、という悪い言葉・かかれ、になったとさ。しゃみしゃっきり。
おまけ 佐七は、斯く+あれ、が本当の語源では無いかと 考えています。アクセントがあっているからです。この点では 他の二説はアウトです。

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