大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法 |
四段のようで四段じゃない |
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私:とりあえず、恋う・恨む・蹴る、三つの動詞を探す事が出来た。これら以外にもあるのかな。 君:ほほほ、四段動詞にみえて実はそうではない動詞ね。 私:そうなんだ。四段のようで四段じゃない、こんな現象がある事をつい先程、気づいてしまって。 君:もう少し、具体的に書いたほうがいいわよ。 私:では。現代語であるこれら三つの動詞だが、打消しの助動詞「ない」を未然形に接続させると「恋わない」「恨まない」「蹴らない」になるから、三者は共に口語では五段動詞。国語辞典にもそう書いてある。ところが古語辞典では「恋ふ上二段」「恨む上二段」「蹴る下一段」となっていて。つまりは四段動詞じゃない。現代人は飛騨人とて口語に慣れていて文語では話さないから、四段じゃなかったといわれてもピンと来ないし、日常的に古典に慣れ親しんでいるわけでもないしね。 君:打消し「ず」を未然形に接続させて「恋ひず」「恨みず」「蹴ず」と覚えておくのよ。「恋はず」「恨まず」「蹴らず」はご法度よ。「恋ふ」は「こいするフォーチュンクッキー」と覚えましょう。ついでに未然形「恨みらるる恋敵」「蹴ざるボール」をしっかりと覚え、四段ではないと覚え込む事。 私:「恋ふ上二段」は室町辺りから、「恨む上二段」「蹴る下一段」の二語は江戸時代から、それぞれぞれが四段活用になり、現代の口語五段になったという事らしいね。何か法則がないだろうか。 君:さあ、なさそうね。 私:暗記するしかないのか。 君:そのようね。 私:飛騨方言に痕跡は無いね。 君:これらは文語から口語への変化では無くて、実は文語から文語への間に活用が変化したからやっかいだわ。普通の生徒なら必ず間違えてしまうとも思うわ。つまりは飛騨方言に痕跡が無いのは明治からの国語教育の成果なのよね。 私:「死ぬ」は文語でナ変だが口語で五段。「あり・をり・はべり・いまそかり」は文語でラ変だが口語で五段、これもやめて欲しいね。 君:暗記するしかないわよ。それに方言とは関係ないし。 私:それをいっちゃあ、おしまいだ。ここは方言サイトである以上は関係が少しでもないと、ここは国語サイトでもないし、古典サイトでもない。困ってしまうんだよ。 君:四段動詞が口語で上一段に移行したおかしな動詞があるわよ。「飽く」「借る」「足る」から「飽きない」「借りない」「足りない」。 私:そうだ。「足らん」と言ってしまうと方言丸出しである事は明白だが、「なにかが足らない」とか「足らないですね」などと言ってしまうと飛騨方言になってしまうわけだ。 君:その通りよ。東京の方々に御里を知られないように「なにかが足りない」とか「足りないですね」と言ってくださいませ。 私:そういえば「いつまでも飽かずにラインをする」なんてついつい言っちゃうけど、これって飛騨方言だったのか。 君:その通りよ。東京の方々に御里を知られないように「いつまでも飽きずにラインをする」とお話しなさいませね。 私:はは/きみ/をかしき/ことのは/しめし/あ/を/たすけり/きづか/ざる/はうげん/しりぬ/あく・かる・たる/なる/みつの/ことのは/活用/いと/をかしく/おぼゆ。 君:はうげん/たる/かみ/つねに/わがきみ/なる/サイト/に/おはす/こと/こそ/くすし/けれ/えしも/うれしく/おぼゆる/こと/共に/わすら/ざら/め/ 書き始めたものの、なかなか面白そうなストーリーにならないので実は焦っていたあなた、そこへ突然に方言の神様が現れてしまって。今回も二人で方言の神様に感謝しなくちゃね。ほほほ |
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