大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法

「おぼわる」のパウル説

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君:今日は私からお話しさせてね。
私:おっと、そうきたか。望むところだ。
君:早速だけど、飛騨方言動詞の可能表現、あれって少々どころか、単に考え過ぎという事じゃないの、若しかして。
私:えっ。全否定か。つまりは、別の理論を思いついたのかい。
君:その通りよ。
私:つまりは極めて簡単な理論という訳だね。
君:勿論よ。
私:そんなのあったっけな。
君:あなた、どうかしてるわよ。以前に自分でお書きになっていたくせに。
私:えっ、この僕が理屈を既に書いていた? 四段未然形+「る」が閃いた時は方言の神様と握手が出来た気分だったがな。
君:かってになさい。私は言語学の神様と握手しちゃったのよ。
私:言語学?簡単な理論?・・・わかった、「パウルの比例式」だ。
君:そうなのよ。私に指摘されて慌てるようじゃ、あなたはパウルの比例式を実は真に理解していなかったという意味になるわ。
私:手厳しいご指摘だが、その通りだな。四段未然形+「る」の説とパウルの比例式説では、俄然、パウルのほうが説明が簡単だ。
君:そうね、どんどんと飛騨方言の例文を作るといいわ。
私:はいはい。「覚える」に対してその可能表現は「おぼわる」
君:駄目よ。たったひとつだけじゃ
私:はいはい。
「食べる」「食ばる」
「植える」「植わる」
「鍛える」「鍛わる」
「込める」「込まる」
この辺りは飛騨方言としてはポピュラーだな。
君:ほほほ。共通語にも似たようなのがあるわよ。
「上げる」「あがる」
「下げる」「さがる」
「締める」「しまる」
「止める」「止まる」
「ふせぐ防」「ふさぐ塞」
「伝える」「伝わる」
私:なるほど。共通語にもそのような動詞の対がある事がわかったし、共通語では「他動詞」対「自動詞」っぽいね。
君:何言ってるの、あなた。しっかりして。
「おぼわる」「英単語が自然におぼわる」
「たばる」「とても大事なものがたばってある。」
「植わる」「田んぼに稲が植わっている。」
「鍛える」「体が鍛わっている。」
「込める」「歯に食べ物が込まっている」
飛騨方言とて例外に非ずなのよ。可能表現というよりは自動詞の表現で幾らでも文例が作れるじゃないの。
私:確かに。エ列+「る」:ア列+「る」=他動詞:自動詞 (or 可能表現) みたいなロジック・飛騨方言公式、つまりはパウルの比例式になっているのか。
君:ただし「投げる」とは言うけど「投がる」とは言わないし、始めから自動詞の「荒れる」に対しては「荒らる」なんて言葉は無いのよ。
私:未然形、若しかして関係なかったのかも。
君:助動詞「る」もね。「おもふ」も関係ないかも知れないわよ。
私:かっこいい考え方かと思っていたんだけどね。
君:ちょっと舞い上がっていたかも知れないわね。
私:いや、相当に舞い上がっていた。
君:でも未然形説が正しいか、パウルの公式説のどちらが正しいか、それはまだ決着が付いていないのよ。
私:ありがとう。優しいね、君は。でも、未然形説はなんとなく怪しくて、パウル説はなんとなく正しそう。
君:だめよ、たったた二つの説くらいじゃ。全然、あなたらしくない。まだ無いか考えるのよ。それが私の貴方。
私:珍説をね。嗚呼
君:な/へこたれ/そ/わが/きみ/こそ/あまつさへ/いと/をかしき/せつ/かんがみ/まほし/けれ
私:べち/なる/せつ/しかと/当サイト/いづくんぞ/さらなる/学術系/めざさ/ざらむ/や。

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