大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法

何故、終止形と連体形は同じなのに呼び名が違うのか?

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私:口語文法を習いだすのは中学校からだけど、誰もが表題の事は疑問に思うよね。
君:文語では終止形と連体形は異なっていたけど、口語文法では同じになっちゃったから、と説明すれば生徒は納得するわね。
私:その通りなんだが、中学生の頃を思いだすんだよ。授業中に「どうして口語では同じになったのですか?」「そもそも誰がいつ頃から終止形とか連体形とか名付けたのですか?」とか質問すると、先生はお困りになるだろうから質問するのは止めておこうと思った事を。
君:じゃあ、休み時間に職員室を訪れたのね。
私:いや、結局、何もしなかった。
君:高校時代には疑問が解決したでしょ。
私:いや、それがそうもいかなくて。高校は三年しかない。千日ちょい。全国的に有名な進学校じゃないから、周りは結構、のんびりした友達が多かった。志望校・名大理系は昭和47年当時は配点が900満点、英数国が各々200点で、理科二科目と社会一科目が各々100点。理系入試とは言え国語は必須、現国は勿論、必須だ。現国が100点、残り100点は漢文、古文の何れかの選択という名大理系国語だったのだよ。医学部の合格ラインは850点辺りだろう。全科目でほぼ満点が要求される。漢文、古文だが、実は両方の試験問題が渡される。問題は自由に見てよい。つまりは漢文問題、古文問題を数分でざあっと両方見てどちらか一方を選択するんだ。この瞬間の為に高校三年間、漢文、古文、共にみっちりと受験対策をさせられたわけだ。実にスリリングで本当に罪な入試本番だったんだよ。千日の勉強で自分はどれだけの事が出来るか、つまりは目指せ満点・苦手個所をどれだけ潰せるか、現国・古文・漢文、この三つの勉強時間の配分の事ばかり考えていた高校生活だったなぁ。この歳でここまで古文で遊ぶとは思っていなかった。勿論、今のほうが楽しい。
君:へえ、それで、さあ本番、古文・漢文、どちらを解いたの?
私:おかしな事に、実は覚えが無いんだ。ほぼ満点だったとは思うが。
君:古文の事をやたらと覚えているから古文の問題を解いたんじゃないの?
私:かもね。でも、漢文も教科書は完全暗記したし、例えば春暁、兵車行正信偈は物心ついた時から。高3秋には岩波文庫「唐詩選」をスラスラと読んでいた。漢文問題を選んだ可能性もおおいにある。
君:でも頭が柔軟な時に古文も漢文もしっかりと勉強できて良かったじゃない。
私:ああ、脱線したから本題に戻ろう。だから、動詞の活用表を考案したのは誰だろうという中学生時代からの疑問、だが先ほどネット検索したら、和語説略図 ( わごせつのりゃくず )、東条義門著、1833年(天保4)、彼が動詞の活用を六段に分け、それら活用形の用法、またそれに接続する「てにをは」及び活用形と係りことばの関係を一枚の図表に表した、という事がわかった。ネットで図も探したが、残念ながら見つからない。後はカーリルなどで全国の図書館情報にアタックすればいいのだろう。
君:未然・連用・終止・連体・已然・命令は東条義門の発案という訳ね。
私:杉田玄白の一世紀後というわけだ。
君:仮定形の命名は吉岡郷甫『日本口語法』(1906年)からよ。
私:つまりは、何でもかんでも終止形に「る」をくっつけて連体形と同じにしてしまったのは明治時代からかな?「る」だけど、指定の助動詞「なり」辺りから来ているのだろうね、体言に接続となると、これしか思い浮かばない。
君:タリ活用の可能性もあるわよ。他の多くの助動詞は未然形・連用形の接続だし「る・らる・らるる」辺りではないと思うわ。でも、もともと「る」が終止形の動詞って、平安辺りからでも多かったのよ。四段ラ行「成る・下さる」、ナ変「死ぬる」、ラ変「有る」、上一段「ほぼ全て」、上二「ほぼ全て、起きる・起くる」、下一段「蹴る」、下二段「ほぼ全て」、サ変「する」、カ変「来る」。
私:なんだ、結局は、ほぼすべてじゃないか。
君:そういう事。
私:明治にポンと「終止=連体」になったのじゃなかったんだ。
君:そういう事。
私:東条義門は少し乱暴すぎるな。疑問に思う。終止・連体で「止体形」で良かったのじゃないのか。
君:あれこれ、お悩みになって命名なさったのよ。素敵な名付け親、広く日本人に受け止められているわ。でも私、「止体」にしたい貴方の気持ちもわかるのよ。
私:時枝誠記「国語学言論」を読み返してみたが、彼も東条宗の信者だね。東条さんは僧侶だ。
君:では、おしまい。
私:もう一言だけ。飛騨方言ではサ変終止形「する」を「せる」と言う。高山市の言葉だ。勿論、僕もそのように話す。土田吉左右衛門「飛騨のことば」にも記載があるし、「せる」は益田郷の言葉との記載がある。つまりは飛騨方言は高山・下呂あたりでは「せ・せ・せる・せる・せれ・せよ」で、つまりはサ変ではなく下一段で活用していたのではないだろうか。ついでに終止形から「る」を省くと「せ・せ・せ・せる・せれ・せよ」、つまりは、これが上代の飛騨方言「する」の活用だったのじゃないかな。音韻の立場からだが、飛騨も含めて上方は「せ」で、東国(江戸)が「し」なんだ。
君:さあ、どうかしら。
私:しかり/しかと/したため/しむ。
君:可能性としては無きにしも非ずね。ただし、高名/せう(サ変「ず」未然+意志助動詞「う(む)」)/とて不覚し給ふな。それでも・・瀬田の唐橋/せき止めて/せく(急)/せ(背)/の/せうもち(抄物)/せうそこ(消息)/せよ。(瀬田の唐橋を堰とめて、琵琶湖を満水にするほどの貴方の沢山の気持ちを私宛ての手紙に書いてね。いつでも相談に乗るわよ。)

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