大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
かわいそうだ |
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私:飛騨方言では「かわいそうだ」の意味で「かわいい」「うたてい」「いとしい」等の形容詞表現や、「しょうしな事」という形容動詞の表現などがあるね。 君:不憫(ふびん)を意味する言葉の方言量は多いのでしょうね。 私:多いなんてものじゃない。小学館日本方言辞典にはざっと百以上、数ページに渡ってギッシリと記載してある。 君:ほぼ例外なく語源となる古語があるわね。 私:その通りだね。少なくとも飛騨方言に関しては。「かわいい」は「かほはゆし顔映」から、「うたてい」は「うたてし」から、「いとしい」は「いとほし」から来ている。「しょうしな」は「せうしなり」。形容詞がク活用ではなく、シク活用である事については別稿「ク活用・シク活用」に詳述した。また、シク活用に鑑み「うたてい(形ク)」にも詳述してある。「しょうしな」も上梓してある。それにしても古語に「かわいそう」の意味の言葉の多い事。多くは飛騨方言にはなっていないようだが、全国各地ともなると別だね。どの地方の方言がどの古語に相当するのか、非常に奥深いものがあると直感する。 君:一言で、もののあはれ、が古典の世界なのよ。ただただ品詞分解を試み、文法の話に持っていこうとなさるあなたには無縁の世界だわ。 私:他ならぬ僕がそれで悩んでいる。方言の世界というのはもう少しホッコリというか、癒しの世界というか、しみじみとした所を書いたほうがいいのかも知れないね。語源の話に持って行って、これを見ろと言わんばかりに出典をお披露目してしまうのも悪い癖だ。ところで先ほどは「かたはらいたし傍痛」を調べていて思わず目が点でした(@_@)。 君:何よ、急に顔文字なんか。 私:現代語においては「片腹いたい」は「笑止千万で横腹が痛くなるほどだ」のような意味で用いられるが、これは鎌倉時代からの誤用で、それが現代語に引き継がれてしまったんだね。 君:その通りよ。平安では「傍ら痛し」。「傍ら」は人の「そばにいて」の意味で、傍にいる人に対しての感情の場合は「相手を見るに何ともはや」の意味であるし、自分自身を示す場合は「回りの人々が自分をどうお感じななるかと思うと何ともはや」の意味になるのよ。他人に対する感情が悪感情なら「見苦しい」の意味になるし、思いやる感情であれば「お気の毒な」の意になるのね。自分自身がどう思われているかという感情の場合は「きまりが悪い、気がひける」とでも訳せばいいわ。「かたはらさびし傍寂」は自分のそばに一緒に寝てくださる御方がいないのが寂しい、という意味で源氏の重要単語よ。 私:なるほど、「かたはらいたし」は複雑な感情を的確に判断しないと脈絡を誤ってしまう、極めて解釈の難しい単語だな。逆に「かたはらさびし」については、ははは、これほど判り易い形容詞も無い。ところでちょいと方言の話に戻そう。「かたはらいたし」を語根とする方言が無いか、手元資料にて全国区で調べてみたが皆無だった。流石に七拍は長すぎるよね。言い換えれば、この七拍が鎌倉時代から一切の方言を派生せず、金剛石の如く不動の音韻で現代語に至っているという事なのだが。 君:それなら三拍の「めぐし愛」形クはどうかしら。語源は簡単よね。「め目」+「くし苦」。逢うは別れのはじめ、久しぶりに逢えれば、それはもう嬉しい事でしょうけれど、これでもう逢えないかもと思うと、見ている事が寧ろ辛い、という事。つまりは夫の出征を見送る新妻の心情。あるいは別の意味は、相手が見るに堪えないほどに痛々しいので心が痛むという感情。 私:おっ、するどいね。おっしゃる通り。三拍名詞だから全国の方言になっている。「み(む)じょー」「み(む)じょーげ」「むぞ」「もぞ」あたりだね。「ぐ」が脱落して後にあれこれ音韻変化したと考えるとピタリと当てはまる。間違いないだろう。裏日本と九州に多い事も判ってしまった。ここで出てくるのが方言周圏論か。いやあ、今日も思わぬところで方言の神様にお逢いできたね。しかも二人の共同作業の勝利じゃないか。君は本当に素敵だ。ははは 君:あはれ、かたはらさびし。ほほほ |
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