大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨の祭りばやし

旧吉城郡(現高山市)国府町の荒城(あらき)神社、岐阜県高山市国府町宮地1464-1 0577-72-3111(高山市国府支所産業振興課)、の例祭・鉦打獅子舞(カネウチシシマイ)ですが、秋の例大祭は 9/7 です。荒城神社をキーワードに各自、お調べください。鶏闘楽、カンカコカン、もお勧めキーワードです。

さて中日荒城神社新聞記事(2008/9/8)に、"「いーこーいー」の掛け声とともに"との文章。祭囃子(まつりばやし)にさしたる意味などある訳が無い、誰に聞いても誰も知らないという事かも知れませんが、其処をあえて。まずアクセントですが、○●○なのでしょうね。飛騨方言における三拍品詞のアクセント律をご参考までに。唱える語のアクセント、唇の動き、体の動き、が三位一体(さんみいったい)となって軽快な踊りであろう事が容易に想像できます。

そして肝心の点、意味は何でしょう。秋の祭りと言う事で五穀豊穣、あるいは子供が舞うという事で、次世代の繁栄、を願うという国府の村人の言霊思想がある事は言うまでも無い事ですが、また古い人間とお笑いでしょうが、てなもんやさんどがさ、というテレビ番組がありました。その主題歌の三番目ですが、・・捨てた故郷にゃ未練はないが♪わすれられりょうか母の顔♪おいら旅人一本刀♪(おひけなさんせ、おひけなすって) まつりばやしをしみじみ聞いて♪おとこ泣きする事もある♪(唄は藤田まことさん)・・というのがありました。つまりは、国府の村を離れた方は「いーこーいー」を思い出すと泣けてしかたがない、という事ですね。

語源を考える上でひとつの見方としては、筆者はこれを飛騨方言なりのオノマトペ(擬音語)と捕らえます。つまり上代に於いては、い、は馬、こ、は鶏のの鳴き声の表現であったようです。馬は、い・いひ・いう等々で平安文学にすでに見られ、動詞・いななく、が成立しました。ひんひん、ひひーん等は江戸時代からです。また、鶏(かけろ)は、かけ・こけこー・とうてんこう等々です。蛇足ながら飛騨方言ではとてこっこです。

まだまだ続くよ佐七節、よく考えてみたら鉦打獅子舞(カネウチシシマイ)の鶏闘楽ですから、実は馬は全く関係ありませんね。あるいは鎌倉・室町時代の国府の村人はライオンが馬のように、い・いひ、と鳴くと考えたのでしょうか。いや考えすぎです。つまりは
「いーこーいー」=こけこっこ
畢竟、語全体が鶏の鳴き声を示すオノマトペの可能性がある。
と言うのが筆者なりの結論です。
おまけ(実はこれがいいたい) (珍説・福地のたるま姫の語源のノリで)
国府町荒城神社の「いーこーいー」をこととわば、
▼いい恋、 うーん、好きですねえこういう説、佐七にぴったり。
▼飯(いい)請う胃、 子供がハッスルして踊るから、お腹も空きますって。